No.5077 (2021年08月14日発行) P.66
石﨑優子 (関西医科大学小児科学講座准教授)
登録日: 2021-07-09
最終更新日: 2021-07-09
先日(2021年3月)、NHKの番組「満州 難民感染都市知られざる悲劇」で、1945年(昭和20年)の敗戦後の旧満州・奉天(現瀋陽)において、居留民の間で感染が拡大する発疹チフス、ペスト、コレラと戦う満州医科大学の医療者が描かれていた。ソ連軍の侵攻の中、収容所の中で次々と感染症が猛威を振るい、それに対して現地の満州医科大学の医師や医学生たちが、消毒、隔離を行い、さらにはワクチンの製造を試みたという今まで一般には知られることのなかった内容であった。同じNHKが2017年に旧満州で細菌兵器を開発した研究者たち(エリート医学者)の所業を旧ソ連・ハバロフスク裁判の記録を基に振り返っていたように、過去、満州医科大学は、731部隊への協力等、非人道的な内容での取り上げられ方がほとんどであったことから考えると、ほっとする内容である。
満州医科大学を卒業し教鞭に立った祖父を持ち、当時の記録を保存している私は、祖父の遺品の保存や利用に関して、旧満州をテーマとする研究者やマスコミ関係の方々とやり取りした経験がある。その中で「戦争犯罪ではなく戦時下の友好は記事にならない」といったような、センセーショナルな内容以外の旧満洲に興味を示されないことに違和感を持っていた。彼の地の市井の日本人がいかに生きたか、戦争犯罪以外の彼の地の医療がどのように行われていたのかを、なぜ伝えようとしないのか、という点にである。
日本ではほとんど知られていないが、満州医科大学の後身である中国医科大学は、満州医科大学の業績を今日ある大学の歴史の一部として大学の博物館で公開している。同様に台湾の國立臺灣大學醫學人文博物館では、台北帝國大学時代の日本人医師の業績が展示され、現地の一般の人も見ることができる。
今回の番組のように感染症との戦いにおける隔離、ワクチンといった医療のあり方は、侵略、国際政治といった視点とは別の、科学的な観点から評価し記録し保存ができるであろう。旧満州だけではなく、戦時下の半島や台湾における医学も、科学的な側面から記録し後世に伝えることが重要と考えている。
石﨑優子(関西医科大学小児科学講座准教授)[医史]