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【識者の眼】「“死の人称”を意識した終活出前講座における住民へのアプローチ」岡江晃児

No.5080 (2021年09月04日発行) P.61

岡江晃児 (杵築市医療介護連携課兼杵築市立山香病院・ソーシャルワーカー)

登録日: 2021-08-19

最終更新日: 2021-08-18

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全国では人生会議の普及等を目的に、住民を対象に終活出前講座(以下、講座)を実施したり、講座の中でエンディングノート(以下、EN)を実際に書いてもらう取り組みをしている自治体が増えている。杵築市でも2018年度から市政出前講座「終活・エンディングノート書き方講座」を実施している。

このような講座を実施している市町村等からは、「『ENを書きましょう』と伝えても住民は書いてくれない」という課題があげられる。この背景として死生について考える・話し合う機会(人生会議)が少ない状況がある中で、講座では、死生を受容するためには段階的なアプローチが必要と考える。そこで当市では、フランスの哲学者Jankelevitchの“死の人称”を意識したアプローチを行っている。

死の人称では、一人称、二人称、三人称という語りや主体の立場という枠組みで死を捉える。つまり、「私」の問題として判断するか、「あなた」という関係性を持つ人の立場で判断するか、「第三者」として一般的立場で判断するかによって、議論の軸足が変化する。

〈三人称の死〉語る人自身と個人的な関係を持たない人の死である。例えば、テレビ等でみるような看取りや、どこかの病院で亡くなる知らない人の死である。客観的な出来事としての死である。三人称で語るとき、語る側は常に対象となる人たちを一つのカテゴリーにまとめて、遠くから眺めて議論する。【①出前講座では、まず三人称の死に関して当市の看取りや人生会議の現状を住民と共有し、冷静かつ客観的に死生を受容できる第一段階の関係づくりを構築する】

〈二人称の死〉語る人自身が「あなた」と呼ぶことのできる対象を指す。自分自身と関係性を持つ人の死は客観的な出来事ではなく、悲しみや苦しみを伴う主観的、感情的な出来事になる。【②もし大切な方が人生の最終段階になった場合の簡単な事例(最後をどこで過ごす等)を紹介しながら二人称の死を考える】

〈一人称の死〉語る人(私)自身の死である。一人称の死は自らの存在が死すことであるため、自分自身の人生に対する主観的意味づけや、死後どこへ行くのかといった死を直視した問題に向き合う。【③ENを活用して一人称の死を考える】

講座では、すぐにENを書くといった、いきなり自分の死生を直視する構成ではなく、死の人称を意識して段階的(①三人称の死→②二人称の死→③一人称の死)にアプローチする構成が住民に死生を受容してもらいやすいと考える。

【参考文献】

▶藤井美和:死生学とQOL. 関西学院大学出版会, 2015.

岡江晃児(杵築市医療介護連携課兼杵築市立山香病院・ソーシャルワーカー)[死の人称][終活][エンディングノート]

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