一般社会の医療が診療所と病院の連携で成り立っているように、刑事施設などの矯正医療も、診療所に相当する「一般施設」、医療機器・スタッフを重点的に整備した「医療重点施設」、病院的機能を担う「医療専門施設」の連携でカバーされている。刑事・少年の一般施設の矯正医療を経験した後、医療専門施設の大阪医療刑務所に赴任した川田哲嗣医師に、各施設で求められている医師像などを聞いた。(写真は改築工事が進む大阪医療刑務所)
民間病院の心臓血管外科部長として明けても暮れても手術の日々を送っていた川田さんが、矯正医官に転身したのは7年前。以前、医学部の実習で矯正施設を見学した長男から聞いた話を思い出し、「矯正医官」という仕事に興味を持ったことがきっかけだった。
「50代後半になって老眼が出てきて『手術をずっとやるのも大変やな』と思っていた時に息子の言葉を思い出し、矯正医療をやってみようと思い立ちました。病院に伝えてから辞めるまで1カ月ほどだったので、一緒に働いていた部下は『なんで辞めるんですか』と驚いていました。『手術ばかりしている生活が正しいのか』という思いもありましたね」(川田さん)
矯正医官として最初に着任したのは京都刑務所。併任として奈良少年院にも週1〜2回勤務し、刑事施設と少年施設の医療を一度に経験した。被収容者数1000人を超える大規模一般刑事施設の京都刑務所では、外部医療機関の協力も得ながら「女性と子ども以外のありとあらゆる疾患」に対応する総合診療科的な医療、少年施設では「若木を矯正するような養育者的な観点」での医療介入が求められていると実感した。
超音波検査に精通していた川田さんは、京都刑務所で心臓・腹部を中心に年間約2000件の検査を実施、「保護室」(自傷の危険が少なくなるような特殊な設備と防音機能を備えた居室)を毎朝巡回するなど独自の取り組みを進め、疾患の早期発見、診断・治療につなげていった。そんな川田さんも着任直後の半年間は一般医療とのシステムの違いにかなり苦労したという。
「診察時も1人で被収容者に接することができないとか、原資が税金なので、できるだけ医療にお金をかけないようにするとか、矯正施設特有の仕組みを理解するのに手間取り、思うような医療ができない時期がありました。精神科の研鑽を積んで慣れるまでは、精神的不調を訴える被収容者への対応にも苦労しました」
被収容者は通常、診療の場面で医師に対し感謝の言葉を口にすることはない。しかし、社会の中で「医療弱者」だったケースが多い被収容者への診断・治療を積極的に進める中で、川田さんは「彼らには彼らなりの感謝の仕方がある」ということに気づいた。
「社会に戻る時、用もないのにわざわざ診察室に来て感謝の気持ちを表したりする。京都駅で元受刑者にいきなり肩をたたかれて『お世話になりました』と言われたこともあります。彼らは彼らの流儀で感謝している。そういうことがわかると、矯正医療に一生懸命取り組むモチベーションも自然と上がっていきます」
川田さんは2019年に医療専門施設の大阪医療刑務所に異動。医療部長を経て2020年から所長として専門施設特有の課題に取り組んでいる。
「医療専門施設は一般社会の病院に近い要素がありますので、総合診療科的な医療よりも専門的な医療が求められています。現在は、血液内科、腫瘍内科などを専門とする医師が足りていません。矯正医官になってみようという先生は、『総合診療科的な医療に貢献したい』『親の目線で少年を育てることに興味がある』『病院で培った専門的な医療を発揮したい』などいろいろな動機がありますので、やりたいことと働く施設をマッチングさせて、矯正医官の定着率を上げていくことがこれからの課題と思っています」
矯正医療を充実させるためにもう1つ実現したい課題は、矯正医療に一定期間従事した医師が専門医制度の中で評価される仕組みだ。
「いまの医療システムでは、専門医を取得する上で矯正医療に従事したことがプラスに評価されない。今後新たに矯正医官として入ってくる医師のために、矯正医療で培ったスキルが評価される環境をつくってあげたいですね」
大阪医療刑務所は老朽化が進んだため、現在大規模な改築工事が進められている。2023年には、東京の東日本成人矯正医療センター(日本医事新報2022年2月5日号「変わりゆく矯正医療の現場②」参照)とともに日本の矯正医療を牽引する近代的な医療センターとして生まれ変わる。矯正医官をはじめ医療スタッフの充実がますます求められてくる。
刑事・少年の一般施設、医療専門施設で矯正医療に従事した日々を振り返り、川田さんは実体験として「医師のキャリアにおいて矯正医療は一度は経験しておくべきもの」と強く感じている。
「普段接することがない刑務官と一緒に仕事をすることは医師のキャリアにとって大きなメリットがあります。矯正医療の現場では、刑務官もリスペクトし、病気を治して再犯防止につなげるという目的を共有しないといけません。『死刑が確定した被収容者に大腸がんの手術をする意義とは何か』といった問題を、実際に施設の中に入って考えることも大事です。開業医の先生の多くは総合診療科的な能力を持っていますので、一定期間ぜひ経験してほしいと思います」
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