しばしば報道で、乳児の遺体が発見されたという事件を耳にします。どこかで産み落とされて、そのまま遺棄されたということです。生まれたときに生存しているかを明らかにすることは重要で、生存していた子どもが死亡したならば、母親は殺人や保護責任者遺棄致死の罪に問われるでしょう。死産であれば、死体遺棄に問われます。
出産直後に児が生存していたということが多いようですので、この子どもたちを助けることができなかったことは、悲しい限りです。
わが国では、戦前には多くの妊婦が自宅で出産していました。戦後の昭和22年でも、97.6%の妊婦が自宅(その他を含む)で出産していました。現在では99.9%以上が病院・診療所・助産所といった施設で出産しています。明治32年に産婆が資格制となり、登録が開始されました。そして、昭和23年に名称が助産婦に、平成14年に助産師に変更されています。
戦前の日本では家庭で出産する際に、助産師が介助をすることが一般的でした。しかし、まったく介助を受けずに出産することもあったようで、農村部では戦後になっても無介助分娩があったそうです。すなわち、産婦人科医や助産師の介助がなくても元気な子を出産することがありうるということです。
妊娠満22週以降の死産と出生後1週未満の死亡数を出産1000対で示した周産期死亡率は、昭和25年には46.6でした。しかし、昭和30年代後半から急激に減少し、昨年には3.4になっています。この要因として、施設における出産数が増加していることを挙げている方もおられます。
しかし、戦前・戦後における妊産婦の栄養不足や劣悪な生活環境も問題視されています。現代の衛生状態や妊産婦の栄養や健康状況を考えますと、無介助分娩でも以前ほどの危険性はないかもしれません。
産み落として、その児を遺棄するということは、望まれない妊娠ということです。令和3年8月に公表された子ども虐待による死亡事例の検証結果の中でも、予期しない妊娠の例が35.1%、妊婦健康診査未受診が35.1%を占めていました。
思いがけず妊娠してしまい、産むか産まないか迷っている間に時間が経過してしまった、妊娠にはうすうす気づいていたが、その事実を受け止めたくはなかった、出産を決めたものの1人で育てる自信がなくなった等、産み落としをした女性の背景には様々な問題がありました。また、虐待や性被害の結果、妊娠した女性もいます。産み落とされる子どもを助けるためには、妊娠した女性を支援する仕組みが必要です。
滋賀県では、今年から「妊娠SOS滋賀」という事業が始まりました。予期せぬ妊娠に悩む人が安心して相談できる窓口を開設し、必要に応じて市町の関係機関や性暴力被害者ケアの機関などと連携するものです。
このような取り組みによって、産み落とされる児が減ることを期待しています。しかし、たとえ産み落としがあったとしても、生きている児が多いようですから、子どもの顔を見ることで、我に返って子どもを医療機関に連れて行ってもらいたいと思っています。