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その名は“エンゲル矢野” /子イノシシ事件/アンデスのシュラスコ[なかのとおるの御隠居通信 其の11]

No.5161 (2023年03月25日発行) P.66

仲野 徹 (大阪大学名誉教授)

登録日: 2023-03-22

最終更新日: 2023-03-22

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ものすごくユニークな先輩がおられて、いつかエッセイで紹介したいと思い続けていました。残念かつ悲しいことに昨年の3月に急逝されたのですが、いろいろなことを思い出しながら書いていきます。

 その名は“エンゲル矢野” 

矢野健一先生、昭和41年のご卒業なので、15級も先輩である。先生が阪大医学部歯学部ラグビー部のOB会長、私が部長というご縁があって、ずいぶんと親しくさせていただいた。というよりは、しょっちゅう奢っていただき続けていた。

着るものは年中半袖のシャツのみで上着もなく、失礼ながら貧相な身なり。できるだけ長く現役でラグビーを続けられるようにと、いつも足首には3キロのおもりをつけて歩いておられた。なんと通勤途上の駅では、腰を落として柱でタックルの練習をするのが日課。どうみても怪しいおっさんである。

すごいグルメで大量飲酒家だった。ネット情報などない時代から、美味しいお店をやたらとよく知っておられた。趣味は、知り合いをそういったお店へ連れて行ってごちそうすること。お代は矢野先生持ちで、決して受け取ろうとされない。それどころか、無理に払おうとすると、「お前はどういうつもりなんや」と怒り出される始末。

なので、おそらく食費は相当な額にのぼっていたに違いない。もともとは原虫学を専門とする研究者だったが、親しくしてもらった頃はすでに臨床医をしておられたので収入はそこそこあったはずである。が、なにしろ奢り方が半端ではない。きっとエンゲル係数は猛烈に高いはずだから、密かに“エンゲル矢野”と名付けていた。

 子イノシシ事件 

大阪の下町にあるジビエのお店に連れて行ってもらった時のことである。大将が三重の山中で仕留めてきたシカやイノシシを提供するという面白いお店だ。食事が終わった頃、矢野先生が「子どものイノシシを食べてみたい」という訳のわからないわがままを言いだされた。それを聞きつけた大将、なんと「ちょうどありまっせ」。

なんでも、ぼたん鍋の材料となった雌イノシシは子連れだったらしい。母を失った子イノシシは単独で生きていけないので、殺して持って帰ってきたとのこと。そして、「脂が乗ってないんで、提供する訳にはいかへんから、店の前に転がしてありますねん。よかったら持って帰らはりますか」、と。

その時、矢野先生の目がギラッと光り、間髪いれずに「もろて帰る!」。子イノシシとはいえ小型犬くらいの大きさである。黒いビニール袋に入れて持って帰ることにした。その頃、バラバラ殺人事件が大きく報道されていたので、もしかして電車の中で袋から血が漏れたりしたら通報されること必至と、冷や汗ものの帰り路だった。

翌日、秘書さんが「先生、怪しいおじさんが新聞紙に包んだものを持ってこられました」と言う。案の定、イノシシの肉だった。それも毛まみれの。矢野先生にお礼の連絡をしたら、捌くのがいかに難しかったかのレクチャーが詳細におこなわれた。

血が飛び散ったらいかんので風呂場で解体したけど、スプラッタ状態になったこと。解剖学の知識がなければ、まず不可能であったこと。毛をきれいに取るのがいかに困難であったか、などなど。なんでも、愛犬のマルちゃんは、次は自分の番かと勘違いして恐怖におののいていたらしい。ちなみに、なかなか美味しかったです。

 

 アンデスのシュラスコ 

若い頃、アンデス山脈の調査隊の医療班として同行された。最後は本当にお金がなくなってひもじい状態だったそうだ。そんな折、街角で何とも美味しそうなシュラスコの店を見つけられた。食べたくてしかたがないけれど、先立つものがない。お店のウィンドーガラスに顔の跡がつくほどへばりついておられたとか。

あのシュラスコはどんな味だったろうかと、夢に見るほど悔しかったらしい。何年もたった後、職場を移られる機会に、再訪を決意された。はたして記憶していた通りの場所にそのお店はあった。今度はもちろん十分な資金を持参している。勢い込んで注文した。わくわくするではないか。

「味はどうでした?」と尋ねたら、じつに情けなさそうな顔をして「それがむちゃくちゃ不味かったんや」。最高ですやん! ふつう、それだけ待ち焦がれていたら、たとえ不味くとも、味が脳内変換されて多少は美味しく感じそうなものだが、さすがグルメなエンゲル矢野、面目躍如である。

こういう思いをした人は強いやろうなぁという気がする。美味しかったよりも、人生の経験としては、とんでもなく不味かった方がはるかに上等ではないか。などと書くと、「無責任なことを言うな!」と化けて出てこられそうな気がするけれど。

そんな先生だったから、お葬式は爆笑エピソードの連発だった。葬儀屋さんもさぞ驚いておられたのではないか。可愛がっていただけたことを心から感謝している。けど、今ごろ天国で、「仲野、むちゃくちゃ書きよるなぁ」と、怒ったはるかも。

仲野 徹 Nakano Toru
大阪市旭区生まれ。1981年阪大卒。2022年4月より阪大名誉教授。趣味は読書、僻地旅行、義太夫語り。『仲野教授の笑う門には病なし!』(ミシマ社)大好評発売中!

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