米国でコロナの緊急事態宣言が解除される翌5月11日についての記事が現れるのをThe New York TimesのHPを眺めながら待っていた。画面には前日のトップ記事がまだ残っている。3年と100日前に緊急事態を宣言した前大統領が、民事裁判で賠償金の支払命令を宣告された記事だ。米国だけで110万人以上の命を奪った危機の節目に、宣言した本人は今どれだけの関心を持っているのだろうか。
この危機に際し米国疾病対策センターを指揮したRochelle Walensky所長の退任が決まったことも報じられている(https://www.nytimes.com/2023/05/05/health/walensky-cdc-resignation.html?searchResultPosition=1)。ホワイトハウスのコロナ対策チームのブリーフィングを毎週のように一緒に行っていた国立アレルギー・感染症研究所のAnthony Fauci所長も、昨年末既に退任している(https://www.nytimes.com/interactive/2023/04/24/magazine/dr-fauci-pandemic.html?searchResultPosition=1)。コロナ対策の指揮をとったおなじみの顔ぶれは、おおむねその地位を退いた。未知のウイルスに対峙する上で避けられない困難に加え、心無い批判による疲弊は余人には計りがたいものがあったであろう。この危機はあらゆる立場の人々の生命と生活、そして人生に、大きな傷跡を残した。
同じ世界に生きる人々が危機に瀕していることに対し、ある人は同情と援助の手を差し伸べた。しかし、ある人は自分の立場や利益を優先し、またある人は無関心であった。共通の敵に戦いを挑むことで人々が結束することを、人間同士の戦いでは如実に示す一方で、ウイルスという人類共通の敵に対しては、同じ国民同士ですら結束できないことも明らかにされた。それが繰り返されてきた歴史であり、人間なのだと言ってしまえばそれまでだが、この時代を生きる一医療人としては歯痒くてならない。
たとえ歴史というものが人間社会の幻想であったとしても、新型コロナウイルスが存在し、そのために多くの人が命を失ったこと、またそれ以上に多くの人がこれに苦しめられ、戦い続けた事実を否定することはできない。さらに、その中で改めて示された社会の矛盾や課題をなかったことにしてはならない。
終戦はまだ遠いとはいえ、戦いの一定の節目を迎えるにあたり、この事実から学べることを、確実に学び尽くさなければならない。そして学んだことを、今後の社会のあり方をより良い方向に導くために活かすことが、言葉と歴史を持つ人間として生きることの証であると考えている。
小倉和也(NPO地域共生を支える医療・介護・市民全国ネットワーク共同代表、医療法人はちのへファミリークリニック理事長)[新型コロナウイルス感染症]