新聞に「この薬の安全性は医学的・科学的に確立している」という主張が載っていた。如月に入ろうかというのに正月ボケが治らない私には、例によってこの主張の意味がさっぱりわからない。
安全性って何がどうなれば確立するんだっけ?「確立」を証明する方法論やガイドラインってあったっけ? いや、それ以前に「安全性」ってどういう意味だっけ?……毎度で申し訳ないが、医療法や薬機法には「有効性」「安全性」の定義など1ミリも書かれてないから頼りにしてもムダである。
私としては芳ばしい匂いを発する「医学的」「科学的」にむしろ触れたいのだが、紙幅の都合で触れられぬのが残念である。芳ばしさの一端を味わいたい先生は科学哲学の教科書をお読み下さい。
言葉狩りをする気は毛頭ない。これらの言葉の使用を禁じたら業務での意思疎通が面倒になることは間違いないし、日常生活では放っておいても実害はあるまい。
が、こうした言葉が特別な場、たとえば裁判で発せられたらどうだろう? あるいは政府の承認審査や保険適用の場で使われたら? 言うまでもなく、この手の意味不明なスカスカ言葉はそうした修羅場を今この瞬間も盛大に飛び交っている。恐ろしい。
医療界には、網の目の大きすぎるスカスカな言葉が他にもゴロゴロ落ちている。たとえば「日本の医療」「日本の製薬産業」。こうした言葉できちんと「日本」を指し示そうと試みる良心的な論者に出会うことは稀で、たいていは条件反射で「日本の」をテキトーにくっつけてるだけである。ドラッグラグの「解消」といった言葉も同様。「犬も歩けば」に「棒にあたる」とつい答えてしまうのと同じ。
目の大きすぎるスカスカの言葉でできた網で、大切なものがすくえるはずがない。が、それでいいのだ。目の細かい緻密な網だと、何かを本当にすくって(救って)しまい、それがトラブルの種になって困ったことを引き起こすから。スカスカの網を振り回して、何かをすくっている「ふり」をしてるのが誰にとっても安心なのである。誰かがホントに不愉快な思いをする事後的な政策評価がこの国では事実上皆無であることと表裏一体。
……と、ここまで調子よく書いて、ふと嫌な予感が。これって「日本」医事新報の原稿ではなかったっけ? ……あ、いや、編集のHさん、誌名は固有名だから、やたらとデカくてもいいと思います。あのクリプキ先生(哲学者。『名指しと必然性』の著者)もきっとそう言うだろう。
小野俊介(東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)[スカスカな言葉]