製薬産業のグローバル化に伴いICH(新薬開発の国際調和を推進する仕組み)が始動したのが30年ほど前。新薬開発の進め方のグローバルガイドライン(GL)が多数つくられた。これで国際協調のもと理想的な新薬開発に近づくのだぁ!……
「戦争や経済摩擦が絶えぬこのご時勢にそんな予定調和があるわけないよ」と疑念を抱いた先生方は正常です。ICHの活動には「ただし、ICHの活動は各国政府の権限を1ミリも侵しません」というただし書き(caveat)が漏れなくついている。各国の新薬承認の要件は各国政府が好きに決める。それが保証されてこそのICH。
製剤の品質試験やネズミの毒性試験は世界共通でよかろう。が、臨床評価はそうはいかない。アリゾナ州の平均体重85kgの患者での鎮痛薬の試験結果が日本人に無条件に当てはまるとは思わぬ。どの国の政府も自国の患者のエビデンスを望む。
一方、近年の政府は自国の産業支援にもご執心である。他国のエビデンスの輸入を拒みつつも、自国企業が生き残りをかけて「外国で治験をする」ならば、政府はそれを支持せざるをえないという二枚舌。グローバル企業も鵺(ぬえ)のような存在で、政府の庇護をどの程度享受(拒否)するかは経営陣の胸先三寸である。
各国政府の新薬の承認要件、特に臨床エビデンス要求の背景には、そのような生臭い国際政治の力学がある。だから、日本・米国・中国・パプアニューギニア各政府にとっての「望ましい臨床開発」の姿はまったく違う。そんな世界で「臨床開発かく行うべし」といった、意味のある方向性(=GL)を提唱することには相当に無理がある。
「いや、『薬の有効性を示す』という科学の目標・方法は世界共通でしょ?」と思う読者もおられよう。が、そのスローガンは何の役にも立ちません。そもそも「薬が効く」の意味をこの業界は歴史上一度も定義していないのだから。「日本人は全員治すが、米国人は1人も治さない」薬をバイデン大統領とFDA長官が「有効な薬」と言うと思う?
「薬が効く」の意味論の不在に警鐘を鳴らすチンケな大学教員を無視するのは構わぬが、現在我々の前にある事実─ICHの中核にいるグローバル企業すらうまく活用できぬGLがあること─は逃げずに受けとめて頂きたい。業界人は、「薬が効く」を定義できぬことをこれ幸いと、科学やグローバルヘルスの緩い幻想の下で国際協調の夢を謳ってきたが、国際的な対立は、結局は露呈するのである。自動車産業や鉄鋼産業と同じ。
グローバル臨床開発ガイドラインが袋小路(dead end)にたどり着くのは偶然ではなく、必然である。袋小路に陥っていることに気づけぬ生き物は、たぶんそのうち、絶滅する。
小野俊介(東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)[医薬品規制調和国際会議][新薬開発]