筆者は大学病院と公立病院を行き来しているが、ここ数年国公立病院の疲弊を実感する。
たとえば、公立病院にいると、赤字と稼働率の話が毎日朝の会で訓示される。そこでなんとか稼働率を上げたとする。すると補助金が減らされる。一部の公立病院は、自治体と予算を切り離され、独法化されてより経営を重視しなければならない。一方で政策医療は、国から公立病院に降ってくる。「最後の砦」などの言い方で公立病院が率先して行わざるをえない。
一方、大学病院にいると、治験や臨床研究を行うよう毎月はっぱをかけられる。教員は研究資金を獲得するよう呼びかけられる。それが大学本体や大学病院運営の間接資金となることに加え、最近では病院の機能評価や大学の格付けにも使われ、より大規模な補助金獲得の指標となるためだ。研究費を当てるためには様々な研修会が用意される。そこでは研究費審査の際に少しでも目立つよう、「スーパー」とか「グローバル」とか、横文字のキャッチコピーのついた研究名が乱発され、大型研究費を当てた教員の成功談を聞かなければならない。研究費申請を怠ると、ペナルティーとして個人研究資金が没収されることもある。
そこでなんとか研究計画書を出して研究資金を得たとする。すると今度は病院倫理委員会の研究審査が待っている。倫理委員会は、毎年改正される国の研究倫理指針に基づき、ヒト臨床研究の倫理的問題を指摘し、適正な研究計画を行うよう助言をする。倫理委員会は厳格に研究計画書と申請書を審査し、個人情報の管理や人権保護が万が一にもおろそかにならないように、何重にもチェックを行う。このため、審査期間が半年にもおよび、他施設との共同研究でも、審査が間に合わず研究が終了してしまうことさえある。
このように厳格に審査が行われるようになった背景には、過去の降圧薬のデータ改ざん事案をはじめ、何か事案が生じるたびに研究倫理を厳しくして「二度と」このような事案が起こらないようにする、という国の指導がある。
つまり、国公立病院や公的研究機関は、一方で公費補助を減らして民間企業のように経営健全化を指導されつつ、もう一方で国公立機関として政策医療や研究倫理の模範となるように指導される二重拘束(ダブルバインド)状況を強いられる。そこで働く医師は、研究業績と診療実績に縛られ、かつての企業戦士のような生活を強いられる。このような状況では、国公立病院の職場風土や職員の士気は上がりようがない。1つの失敗や事案があると、「二度と失敗がないように」都度規則と研修を増やし、形式評価を重視する日本の完全主義的組織倫理は、個人の倫理を確実に傷め、補助金の尽きたポストコロナの長い夏を経て、この秋国公立病院の燃え尽きをうながしているようだ。
太刀川弘和(筑波大学医学医療系災害・地域精神医学教授)[治験研究][倫理委員会][性悪説][国公立病院]