2026年度の出産費用の保険適用が見送りとなった。現在、正常分娩(経腟分娩)では出産にかかる費用は自己負担、帝王切開術では保険適用となっている。
これまでの妊娠出産への経済支援は、①自治体からの妊婦健康診査(妊婦健診)の公費補助(約10万円/妊婦1人)、②健康保険からの出産育児一時金(50万円/児1人)、③2023年からの出産・子育て応援交付金(妊娠中に5万円/妊婦1人、出産後に5万円/児1人)の3つであった。さらなる少子化対策として分娩費用の保険適用が検討され、お産費用の「見える化」を目標に厚生労働省HP「出産なび」において全国の施設の分娩費用や付帯サービスが検索できるようになった。分娩費用について考える場合、以下の2点に注意が必要である。
2023年度の出産にかかる費用の全国平均は約50万円だが、最も高い東京都(62万円)と低い熊本県(38万円)では大きな差がある。保険適用にした場合、全国で一律の診療報酬点数になるが、施設にかかる土地代や人件費の地域差をどうするかが課題となる。日本は分娩施設が集約化されておらず、分娩に対する診療報酬点数が低い場合、分娩数が少ない地域や施設では経営が成り立たないため、分娩の取り扱いを中止する可能性は高い。
お産は24時間365日、いつ発生するか予測することができないため、分娩施設では常に準備と待機が必要となる。厚生労働省の医療施設(静態・動態)調査・病院報告の概況(2023年)によると、帝王切開率は病院で29.1%、クリニックで15.3%であり、いつ誰が緊急帝王切開術になるかわからないため、経腟分娩用とは別に帝王切開用の部屋・産婦人科医・助産師・麻酔科医の準備が必要である。また、無痛分娩を提供している場合は、必要に応じて夜間や休日にも麻酔科医へ管理を依頼することもある。
さらに出産後は、妊婦だけでなく生まれてきた新生児の呼吸や状態の管理を行うスタッフが別に必要となる。母子ともに無事に安産となった方でも、「お産の安全」を守るために実際には使われなかった準備や待機(緊急帝王切開のための部屋・産婦人科医・助産師・麻酔科医など)のコストが分娩施設には発生している。そのコストを誰が負担するのかが問題である。
もし、分娩の診療報酬点数を現在の保険診療と同じ現物支給(実際におこなった診療や手術の費用を請求)で決めた場合、安全のために準備した部屋や人件費は医療機関側の赤字となるため、分娩を取りやめたり、リスクのある妊産婦の管理を断る施設が増加する可能性がある。
一例として、米国の平均出産費用は、経腟分娩で$11,453〔日本円で176万円(1ドル153円換算)〕、帝王切開では$17,103(日本円で263万円)である。 一方、英国はNHS(national health service)での妊婦健診や分娩は原則無料であり、私立の施設を選ぶ場合は自費扱いとなっている。
安全を維持するためには、そのための人件費や物品などの費用が発生する。安全は無料ではないのである。「お産の安全」のコストは誰が負担すべきか、出産費用の保険適用の前に議論したい。
柴田綾子(淀川キリスト教病院産婦人科医長)[産婦人科][出産費用][診療報酬]