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AEDが救うのは命だけではない [炉辺閑話]

No.4837 (2017年01月07日発行) P.71

三田村秀雄 (日本AED財団理事長、立川病院病院長)

登録日: 2017-01-03

最終更新日: 2016-12-27

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突然死を防ぐこと、それは不整脈を専門とする自分にとって最大のテーマである。しかし、街中で突然心臓が止まって倒れた人を救うには、いくら医学をふりかざしてもどうにもならない。一般市民の協力が欠かせない。そう思いはじめた2000年頃から、日常診療の傍らAEDを国内に広める活動を行っている。AEDが日本で一般市民に解禁されたのは2004年のことだが、その前後を通じて常に私の頭の中にあるのは、救命とは命を救うことだけではない、もっと深いものだという意識である。

2002年4月、宮城県の公園で9歳の男児2人がキャッチボールをしていたところ、球が逸れて、たまたまそばで遊んでいた10歳の男児の胸にあたり死亡する、という悲しい事故があった。ボールの衝撃が心臓に伝わって心室細動を起こす心臓震盪であった。亡くなった子どもの両親はキャッチボールをしていた2人の両親に損害賠償を求めた。後に和解が成立したのだが、この事件のことが忘れられなかったのは、元々は加害者の2人も被害者も友達で、親同士も仲良くしていた、という話を後で聞いたせいかもしれない。一体、加害者とされた2人の幼い子どもたちはこの悲劇をどう受け止めたのだろう、成人になった今はどう思っているのだろう。もし、その公園にAEDがあれば……。

話は飛んで2015年5月。都内で開催されたフットサル全国大会の試合中に相手選手のシュートを胸に受けて心停止になった青年がいた。田中 奨君、22歳。その本人が書いた「僕はフットサルの試合中に心肺停止になりました」で始まるブログに目が釘付けになった。一瞬の間に意識を失い、次に気づいたときには、夢の中で皆が僕の名前を叫んでいたという。チームトレーナーの青山友紀さんがAEDを使って命を救ってくれたと病院で聞いた瞬間涙があふれ、身体が固まり、鳥肌が止まらなかったと述べている。

このブログが載ったのは5月6日であったが、実は心停止になったのは5月4日のことだった。さらに衝撃的なことに、彼は翌5日には病院を退院し、その足でまだ大会2日目の同じ会場に戻ったという。「僕が一番気になっていたのは、シュートを打った選手のことです。その選手とも会って直接話すことができ、元気な姿を見てもらえました」。もしかするとトラウマになってしまったかもしれないその選手と並んで撮った記念写真が、ブログに載せてあった。AEDは2人を救ったのだった。

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