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『治療』と『重い肩車』─続・文学にみる医師像 [エッセイ]

No.4843 (2017年02月18日発行) P.72

高橋正雄 (筑波大学人間系)

登録日: 2017-02-19

最終更新日: 2017-02-14

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  • 島尾敏雄は、昭和30(1955)年に国立国府台病院に入院した妻に付き添う形で自らも精神科病棟での生活を体験しているが、昭和32(1957)年に発表した『治療』と『重い肩車』(『島尾敏雄全集、第7巻』、晶文社刊)には、当時の精神科病棟における医師や看護師の姿が描かれている。

    『治療』

    『治療』では、島尾自身を思わせる主人公の病棟内での日課が、「妻の三度の食事の介添え、大小便の処理、その睡眠時間と度重なる検温及び尿の量の記録、部屋の掃除、妻と自分の下着の洗濯」と記されている。このとき主人公の妻は、持続睡眠療法を受けていたのだが、日々妻に苛まれ続ける主人公は、今ひとつこの治療法の効果に実感を持てずにいた。

    主人公は、「医師は持続睡眠療法の薬がきいているのだから正気のようでいてもあとで何ひとつ覚えていないのだと言うが、果してほんとにあとで分らないのかどうか私は疑わしく頼りない気持でいる。妻の言葉にひとつとしてとんちんかんな所はない。むしろ治療前の狂躁の状態の中でもなお圧えていた意志が、薬のせいで抑圧がとれ、願望が野性を取り戻して跳梁しはじめたとも思えた」と、医師の説明に納得しかねる思いを抱いていたのである。

    そんな主人公は、病棟の廊下を歩く精神科の医師の姿を次のように描いている。「長めの頭髪が耳の方に覆いかぶさり、そげた頰、とがった鼻梁、縁のあついめがねをかけ、つんと顔を上向きにして、どしどし遠慮しないで歩いて来る」。

    主人公は、この若手の医師には好感が持てなかったようで、「あのめがねがきらりと光るときの怜悧な容貌が私をおびやかす」、「宿直室のソファにのびのびと収って、同僚の若い医師と、愉快そうに笑い声をたてて話し合っている姿を見たこともある」などと記しているほか、次のような否定的なイメージの記述もみられる。「私は彼がアコーディオンを肩からさげ、乱調子の色彩にいろどられた女子病棟の精神病患者たちを従えて原っぱのがけ縁の方で、新しい病理学に基いた治療的実践!の雰囲気をふりまきながら、シャンソンや又古いローレライや羊飼いの歌をひいてきかせている姿を見かけその気取った若い声音も耳についている」。

    この医師に悪意はないのであろうが、先の見えない状況に置かれている患者家族にしてみれば、こうした医師の態度に違和感を覚えるのも、当然であろう。その上、この病棟の医師たちは、持続睡眠療法についても主人公に混乱した情報を与えていて、尿量は医師が目安にした量に達しているのに睡眠時間が足りていないことを懸念する主人公に対して、「医師のひとりは無理に眠らなくていいのだと言い、別の医師が眠りが少ないと治療の効果は無いと言う」と、正反対の説明をしている。

    これでは、主人公が医師に対する不信を抱いたとしても無理からぬものがあるが、島尾が病妻物の走りとして昭和30年に発表した『われ深きふちより』という作品にも、「治療のききめは殆ど認められない程なのだ」、「私たちは効果のはっきりしない治療を続けてしてもらう外に方法とてなかった」という記載がある。昭和30年前後における精神科の患者家族の絶望の深さをうかがわせる表現である。

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