ニッチ(niche)とは気がつきにくい隙間的な空間を指す言葉であるが、生物学的には組織幹細胞が性質を維持するため、微小環境として組織幹細胞の維持や分化の調節という重要な働きをする環境を意味する。また、需要があるにもかかわらず、その重要性が気づかれず活性化されていなかった市場や、潜在的需要を掘り起こす産業をニッチ産業(すきま産業)と呼び、現在注目されている領域である。つまり、ニッチは一見気がつかないような環境下で、実は重要な意味を持つ空間であると言える。
腫瘍循環器学(Onco-Cardiology)は、循環器とがんの狭間にある未開拓なニッチ領域に存在する新しい概念である。生活習慣の欧米化と高齢化に伴い、循環器とがんの両者は既に結びつく環境にあったにもかかわらず見過ごされていたが、分子標的薬の出現により日の目を見ることとなる。
乳癌に投与される代表的分子標的薬であるトラスツズマブは、がん細胞における増殖系受容体(HER2)に作用する抗癌剤であるが、HER2受容体が心筋細胞にも存在し、心血管系合併症(心毒性)として心筋障害が出現する。血管新生阻害薬は多くのがん種に有効であるが、健常組織の血管内皮細胞にも作用し、高血圧、血栓閉塞症などの心毒性を発症する。心毒性は担がん状態という究極の環境で致死量の抗癌剤に曝露された結果出現する現象であり、通常の環境では見ることのできないニッチな領域である。そして、腫瘍循環器学は学際領域として循環器と腫瘍のエキスパートが協力して、従来の知見にとらわれず新しい見地でアプローチする学問である。
前述のニッチ産業は、大企業が対応できない領域において独自の高度な知識、常識にとらわれない柔軟さを持つことで高い収益を上げる企業が多い。これは、腫瘍循環器学の将来を予見するものである。
ちなみに、がん細胞は自らを育む環境をつくり出す、つまり、新たながん幹細胞ニッチを形成し、さらなる自己増殖を進めるメカニズムを持つらしい。がんが絡む領域の可能性は無限である。