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大織冠・鎌足のミエロパチー【歴史逍遙─医学の眼(29)】 [エッセイ]

No.4729 (2014年12月13日発行) P.64

小長谷正明 (国立病院機構鈴鹿病院長)

登録日: 2016-09-08

最終更新日: 2017-03-16

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  • 健康は失ってから、その有り難みがわかるともいうが、医者ならば失いかけても十分わかる。

    2013年秋、ウィーンでの国際学会開会式会場に歩いていく途中で足が痛くなり、休むとまた歩けるという間欠性跛行の症状が出てきた。前年の暮れ、雪道での犬の散歩中、転倒して傷めた椎間板ヘルニアが悪化したのだ。かろうじて学会発表をスピーチしただけで、学会聴講のみならず、楽しみにしていた本場のオペラもウィーンの森のホイリゲ(ワイン酒場)に行くのもあきらめ、ホテルでジッとしていざるをえなくなった。その間、書き物と窓辺からの景色に気を紛らせながらも、ミエロパチー(脊髄障害)による対麻痺や知覚脱失、括約筋障害などという言葉が、時折恐怖感を伴いながら頭に浮かんだものだ。

    幸い、筆者はなんとか日本に戻って早めに内視鏡手術を受けて症状は回復し、早々に職務復帰でき、改めて現代医学の恩恵に感謝した。しかし、遠い時代には如何に顕官貴人といえども、重篤なミエロパチーには悲惨な末路が待っていたはずだ。 



    1934(昭和9)年4月、大阪府高槻市阿武山で京都帝国大学地震観測所の拡張工事の際に、切り石で囲まれた石室が発掘された。出土品などから、7世紀後半の墓と推定された。中には漆と布で固められた柩が納められており、その中に60歳前後の男性のミイラ化した遺体と、銀線で青と緑のガラス玉を綴った玉枕があった。遺体は保存状態がよく、立派なペニスが確認されたという。錦の衣装をまとい、胸から顔面や頭部にかけてピカピカ光る金糸がちりばめられていて、その長さは100mにも及んだ。

    当時の大阪朝日新聞には「金絲をまとう貴人」と報道され、見物人が押し掛けた。しかし、発掘は考古学者主導で行われたのではなく、地震観測所の教授が指揮を執っていたので、精密な調査はなされず、そうこうしているうちに遺体が劣化し始めた。内務省は「科学的な調査は、御陵の可能性がある古墳への冒瀆」、つまり皇族の墓の可能性があるとして、工兵隊を使って埋め戻してしまった。

    時が過ぎ1982(昭和57)年、地震観測所から発掘時の写真が発見された。中には遺体のX線写真のガラス原板が含まれており、東海大学で復元作業が行われ、遺体の年齢は歯の咬耗や歯槽骨の吸収、頭蓋骨の縫合の石灰化などから、50〜60歳と考えられた。複数の骨折損傷があり、腰椎および胸椎、また、左上腕骨の大結節部の骨折あるいは脱臼骨折があり、また肋骨や脊椎の一部に修復の跡が見られた。

    強い外力による腰椎と胸椎の骨折であり、胸髄下部から腰・仙髄、さらには脊髄からの馬尾神経のいずれかないしは広範な部位でのミエロパチーを起こしていたことは疑う余地はない。起こりうる臨床症状は下肢の運動機能と知覚の完全麻痺、大小便の垂れ流しで、寝たきり状態となり、沈下性肺炎や、尿路や褥瘡などからの感染症が命取りになったことは想像に難くない。

    副葬品の金糸を分析すると、つづれ織りに織り込まれており、冠帽であることがわかった。当時は冠によって宮中での位を表しており、大化の改新後の647年に制定された冠位十三階では、最上位に大織冠があり、これと第二位の小織冠のみが金銀で飾られることになっていた。実際には、国内では中臣鎌足のみが贈られている。だから、大織冠ということばはそのまま鎌足を指すことになる。

    墓碑銘はなく、また、この古墳についてのきちんとした伝承もないので、墓の主は最終的な特定はされていない。しかし、金糸の復元や、この地方が中臣氏の故地であり、近くに鎌足神社があることなどから、この脊髄損傷の貴人は鎌足だとする説が強い。

    今日、発掘された遺骨を科学調査できるのなら、男子だけに伝わるY染色体のDNA分析をする価値はある。藤原氏は家系がはっきりしており、鎌足から直系の男子子孫と一致するかどうかをみればよい。中国では三国志の英雄、曹操(155~220年、魏の太祖)と推定される遺体が発掘され、彼の男系子孫を名乗る何人かのY染色体DNAの型が一致したと報告されている。

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