恥ずかしながら50歳を過ぎて取り組んでいることがある。ネイリストになることである。実技試験を受けた。広い会場を隙間なく埋め尽くす受験生は20歳代の若い女性ばかり。華やいだ雰囲気に圧倒される。冷や汗が出て過換気に陥る。微細なネイルアートのときには手の震えが止まらない。3級の試験は合格したものの、3カ月後に受けた2級の試験はあえなく不合格。無力感に苛まれた。ちょうどその頃、野球の野村克也監督の言葉が紹介されていた。このような内容だった。「全力を尽くした結果の失敗は、中途半端な努力での成功より、何倍も価値がある」。2級を受験のときには、何とかなるだろうという根拠のない過信があった。もしそんなことで合格をしていたら、いっそう、うぬぼれていたに相違ない。素敵なトップネイリストに出逢うこともでき、再度練習に励んでいる。挫折は、出逢いと成長がある。
手紙の定期便を送っている人がいる。2年前に病院見学にきた医学生である。一度会ったきりなので、顔もおぼろげにしか思い出せない。彼女は今、別の病院で卒後研修を受けているが、応援メッセージを届け続けている。今朝、便箋に綴ったのは、挫折について。ネイリスト試験の失敗談を紹介した。手紙の最後の言葉。「興味がでることあったら、ぜひ取り組まれてくださいね。結果を求めることではなく、取り組み自体を楽しまれてくださいね」。
手紙を書いたあと、電車に3時間乗り、京都東山に行く。敬愛する親友に会うためだ。高台寺に参拝する。濡れ輝く苔の庭、石段を登り切ると、一面に広がる凜々しい竹林。大切な友人と感動を分かち合うひとときは心地よい。一方で、悩める友の力になろうとしても、すぐには結果がでず無力感に苛まれる。帰り際、彼女の勧めで、神様のお告げというおみくじを引く。三角に折りたたまれたおみくじは、なぜか絵柄はエジプト神イシス。開くと、どこか見覚えのあるお告げがある。《結果ではなく、そのプロセスを楽しんで下さい。》「よく当たるでしょう」。隣の彼女はにっこり微笑んだ。