自らもリカバリーしながら支え合う
当事者としての専門性のあり方と仲間
ピアサポーターは「治す」矛盾と戦う
今回,当事者の立場から統合失調症をリカバリーするということについて執筆の依頼を引き受けさせて頂いたのですが,まず自分自身何を伝えたいのか,伝えるべきなのか,考え続ける日々でした。本当に締め切りの数日前に,この見出しの最初の1行を書き出すことができました。長年,当事者として苦労してきたつもりですが,一番簡単な答えが一番難しく思えたものです。
まず,簡単ではありますが,自己紹介をさせて頂きたいと思います(末尾にも経歴を記しました)。今,札幌なかまの杜クリニックという精神科診療所でピアスタッフ,ピアサポーターとして働かせて頂いております。私が私自身に違和感を覚えたのは幼稚園の頃だと思います。私は団体の中でしゃべることができず,ピアニカをやるときも弾いているフリをしていました。そして,今まで毎日何かにおびえるように生きてきたような気がします。
初めて精神科というものにかかったのは,22~23歳の頃だったと思います。もう既にひきこもりは8年くらいになっていました。周りは大学を卒業し就職を決めていく,そんな時期に特にプレッシャーのようなものを強く感じていたように思います。まず私が悩まされたのは不眠でした。ある日,看護師をしていた姉に勧められ,心療内科のクリニックに行くことになりました。とにかく眠れるようになりたいと願って,すがるような思いで訪ねたのを今も覚えています。もちろん,すぐ何かが解決したわけではなかったのですが,もしかしたら人生で初めて救われたのが病人になったときなのかもしれません。でも,そう思えたのはまだまだ大分先の話です。それからすぐに“子ども返り”というものが始まります。5歳児くらいの人格になり,話す内容も5歳当時のことを話し続けていました。
間もなく入院することになり,そこで軽度知的障がいと診断されます。退院と同時に待っていたのは,当時の恋人との別れでした。「障がいのある人となんて付き合えない」。その言葉を私の心に残して……。
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