ごぶさたです。「ええ加減でいきまっせ」の仲野徹、恥ずかしながら帰ってまいりました。と聞いて横井庄一を思い出す人はアラカン以上の世代でしょうな。スンマセン、いきなりしょうもないことから始めて。
定年をキリに連載やめたんちゃうんか!というお叱りもありましょうが、そこは、これまでのよしみでまけといてください。今度の連載は月に1回だけですし。
タイトルはちょっと渋く(?)「御隠居通信」であります。まぁ、どんなことをを書いても堪忍してくださいねっちゅう意思表示といったところですかね。気分は、引退してから城館にこもって『エセー』を書き綴ったモンテーニュですけど、内容が遠く及ばないのは言うまでもありませんわな。ほな、ぼちぼち始めさせてもらいます。
定年、である。多くの人にとっては、一度きりの経験だ。ずいぶんと前もって準備を始めたつもりだったけれど、最後はかなりあわただしかった。なにぶんにも初めてのことなので、いたしかたなかろう。
なかでも最終講義の準備には時間がかかった。というよりも、時間をかけた。お題は「おもろい人生、その途上にて-研究だけが人生か-」にした。サブタイトルは他の大多数の教授に喧嘩を売るつもりなんですか、と何人もから聞かれたけれど、とんでもない。単に、自分でそう思っているだけのことである。
前半は研究を中心に仕事の話、後半はそれ以外、趣味などの話にした。せっかくなので、楽しんでほしいと、準備に正味で2週間くらいかけた。自分でいうのもなんだが、粉骨砕身、工夫に工夫を重ねた。
その上、十分に練習した甲斐あって、とてもスムーズに話せて、楽しくて仕方なかった。若い頃に苦労した話とかで感極まってぐっと涙ぐむシーンがなかったのが残念という感想もいただいたけど、そんな無理いうたらあきませんわ。役者とちゃうんやから。
思想家の内田樹先生や、ヒョウ柄の衣装が似合う法学者の谷口真由美さんらにおいでいただいた。それから、もうすぐ卒寿を迎える母親も聞きにきてくれた。最終講義にご母堂が来ておられるのって見たことがないからちょっと恥ずかしかったけど、人はこれを親孝行と呼ぶにちがいない。
新型コロナのせいもあって、会場は100名程度の制限だった。しかし、同時配信は800名もに見ていただけた。リクエストが多かったので、録画をYouTubeで配信したら、なんと8000以上のビューイングがあった。ただし、最後まで見てもらえたのは2割程度なので実数は1600くらい。それでも総計でいくと2500人ということになる。多大なる時間と手間をかけたけど、十分に元をとれた気分である。
教授室にあった大量の本やらなんやらを持って帰るのも大変だった。考えてみれば20年以上の間、起きている時間でいえば、家より教授室にいる方が長かったはず。いろんなものが貯まっていたのも無理はない。
かなり思い切って捨てたけれど、最終的に中型の段ボール箱で40個もあった。書斎として使えるのは、かつての子ども部屋、6畳だけである。う~ん、片付くやろうか。
壁面収納にしたらええんちゃいますかとヒントをもらった。おぉ、その手があったか。ネット検索してみたら、ドンピシャリの棚を発見。ベストサイズのキャビネットも。お店に行ったところで適当なサイズのものがあるかどうかわからない。こんな時はなんといってもネット検索が便利だ。
一時はどうなるかと思った片付けだが、最終的には最密充填みたいな感じでびっしり収まった。「シンデレラフィット」とかいうらしい。なるほどね。壁面の棚には、お気に入りの本と、僻地で買い集めた思い出の品々を並べた。なにもせずにそれらを見ているだけで幸せになってくる。本は伝記を優先にしたが、100冊程度かと思っていたところ200冊以上もあってびっくり。
隠居生活のええところは、なんというても時間が自由になることである。隠居生活スタートの4月初めは毎日のように、ではなくて、文字通り毎日お花見に出かけた。大阪、京都、兵庫、それから吉野まで。
吉野は大阪から一時間半ほどとさして遠くはないので、土日に行ったりしたらむちゃくちゃな人出である。なので、これまで行くのを避けていた。平日でもけっこうな人出だったから、休日なら桜よりも人を見に行くようなものかもしれない。さすがは一目千本、茶店で柿の葉寿司を食べながらのビールはこの世の極楽でしたわ。
というようなどうでもええことを書いていくつもりであります。何卒ご贔屓に。