新薬開発の臨床試験は厳粛で壮大なプロジェクトである。企業が時に何十億円ものお金をかけ、多くの専門家が参加する。疑うことなき「科学」の実践……のように見える。しかし少し目を凝らすとそこには奇妙な現象がいくつも見つかる。たとえば「臨床試験ってランダムサンプリングをまったくしてないのに、したふりをしてる」という現象。
一般的な文脈でのランダムサンプリングとは、「母集団」にあたる患者集団からランダムに(サイコロを振って)被験者を選択すること。(ベイズ流などではない)頻度論の統計学に基づく推定は中心極限定理に依るのだが、定理の適用にはランダムサンプリングが前提となる。ランダムサンプリングしてないと母集団平均などの推定が正しくできないはず(当たり前の話です)。にもかかわらず、私の三十数年の職業人人生において「この試験、ランダムサンプリングしましたよ」と宣言する企業や研究者に出会ったことは一度もないのである。摩訶不思議。
この社会現象は、前回の小論1)でも述べた「我々は『薬が効く』ってどういうことなのかをきちんと定義できていない」という現実の反映でもある。現在の「薬が効く」の概念(意味論モデル)には「誰に(効くのか)」がすっぽり抜け落ちているのだが、この「誰に」の欠落は「母集団」のことなど誰もろくに考えていない現状と表裏一体をなしているように見える。
むろん薬効評価の教科書には「母集団」の定義がそれらしく書かれている。いわく「母集団とは選択・除外基準によって決まる抽象的な集団」。……いや、抽象的な集団とだけ言われても困るのですが(笑)。専門家なら、その抽象的な集団が果たしてどのようなものなのかをきちんと記述しないといけないはずだが、東大生協で売られているどの教科書にもまともな記載はないのである。
そういう状況だから、企業や研究者は「我々はランダムサンプリングする気なんてありません。薬が効きそうな患者を必死で探し回って、うまく治験に入ってもらって、やっとのことで『効いた』という結果を出しているのです。人類の宝である新薬を鉱脈から掘り出すために。それで何が悪いのですか?」と堂々と開き直ればよいのである。その開き直りを正しく反映した薬効評価の基本原理を教科書には記載すべきなのだろうと私は思う。
言っていることとやっていることが違う薬効評価はとても気持ち悪いし、あちこちで実害が生じている。
【文献】
1)小野俊介:医事新報. 2023;5158:64.
https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=21358
小野俊介(東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)[臨床試験]