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【識者の眼】「不自然なコミュニケーション」西 智弘

No.5197 (2023年12月02日発行) P.64

西 智弘 (川崎市立井田病院腫瘍内科/緩和ケア内科)

登録日: 2023-11-14

最終更新日: 2023-11-14

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先日、暮らしの保健室にてスタッフと興味深い会話をした。

あるスタッフが講演を聞きに行った際に、東北の大震災でボランティアに入った方のお話を聞いたのだという。その講演の中で、そのボランティアの方が震災から4カ月前後の仮設住宅にて、被災者5〜6人で集まってお話をする場に参加した際に「不自然なコミュニケーション」があった、という話題があった。

その「不自然なコミュニケーション」とは、被災者たちが楽しそうな話題でわーっと盛り上がっていたにもかかわらず、次の瞬間に一気に沈黙が流れ、場がリセットされてしまうような場面が頻回にあったということだ。僕らのコミュニケーションでも、友人同士で会話をしていたとしてもふと話題が途切れて沈黙の時間が流れることはあるが、それが頻回かつ話題が途切れ途切れになってしまうことを、そのボランティアの方は「不自然なコミュニケーション」と表現したのだろう。しかし、講演の中でその方は、どうしてそういったコミュニケーションが発生したのかについては言及することなくその講演を終えてしまったため、聞いている側だったスタッフのほうがモヤモヤしてしまった、という話だった。

僕がその話を聞いて考えたのは、震災のような大きな喪失を経験した場合、人が生きていく上で支えとしている過去・現在・未来のうち、「過去」の部分が大きく抜け落ちてしまうのではないか、ということだった。

つまり、震災や津波によって、生まれ育ってきた土地や風土の記憶や、周囲でいつも通りに過ごしてきた方々との関係性もすべて奪われてしまったことで、一人ひとりが積み上げてきた「過去」が失われてしまった。そしてその「過去」を失ってしまったことで、「未来」も信じられなくなり、楽しそうに話をしていたとしても虚しさを感じて沈黙に陥ってしまうのではないか、という考えをした。

それに対して、また別のスタッフは、「その沈黙を『不自然なコミュニケーション』ととらえたのは、そのボランティアの方の感じ方であって、私たちが同じ現場にいたら、それを『不自然』と感じたかどうかはわかりませんよ」と答えた。

そもそも、場の流れによってはコミュニケーション中に沈黙が発生することは「自然」ととらえてもよい、というのだ。

突き詰めると、「現場にいなかった私たちにはわからない」が結論なのだが、それを「不自然なコミュニケーション」という言葉で表現するのはもったいないし、そのとらえ方だけを信じて思考停止してしまう聴衆であるべきではない、という考えだった。

さて、皆さんならこの話題についてどんな考えを持つだろうか。

監修:福島沙紀(臨床心理士・公認心理師)

西 智弘(川崎市立井田病院腫瘍内科/緩和ケア内科)[東日本大震災]

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