自宅から車で2時間以上かかる他府県で当直医として勤務したときの話である。その日は“輪番日”でもあり、ウォークイン、救急搬送ともにひっきりなしにやって来た。Nさんもその中の一人。胸痛を主訴にやってきた、60代後半の男性である。
Nさんは、ここ数年、近医で高血圧症として加療されており、血液検査でも中性脂肪と悪玉コレステロールが高いと言われていたらしい。
ガイドライン1)にも明記されているが、急性冠症候群(ACS)を疑う患者では、来院10分以内に心電図を記録する行動が“MUST”である。
非典型的な症状でやって来る症例に比べたら、主訴が「胸痛」の場合、この目標を達成するのは、まぁ、容易だと思う。驚くべき哉、時にそれでも心電図をしない“強者”もいるが、名医よりは“迷医”の可能性が圧倒的に高いだろう。
Nさんが最初に症状を自覚したのは、2日前の昼食後で10~20分くらいの前胸部痛だった。その後、2日続けて早朝に同様の症状があり、来院3時間前には、奥方と買い物に出かけている途中に強い絞扼感で気を失いそうになったという。まさに、病歴的にもACSとして矛盾しない。幸い、自宅で1時間ほど休憩してから来院した際には症状はほぼ消失していたが、そんな状況で記録された心電図(図1)、諸兄はどう読むか?
初療担当者が心電図を正しく診断・解釈し、トリアージを行う―ACS診療の一番の難しさは、実はここではないかと思っている。
“パッと見”レベルの印象は、ST低下が中心だ。Ⅰ、aVl誘導は軽度かもしれないが、V3~V6誘導ではキッチリ水平型(horizontal)のST低下が認められる。もう少し注意深く読むと、Ⅲ誘導に軽微なST上昇があるようにみえないか? Ⅱ誘導、aVf誘導のST偏位は1mm以内で“セーフ”のようだが、下壁誘導では一様にT波終末部の陰転化(terminal T-inversion)も確認できる。なんとなく“怪しい”印象の心電図だ。もちろん、即座に右側の補助誘導(右側胸部誘導)もとる必要がある。救急医療に携わるのであれば、ここまでは“自然に”できるべきアクションだと思う。
ただ、現実はさにあらず。細かく説明している余裕がないとき、その場に居合わせたら、自分で率先して電極をつけ替えてしまうのが最も効率的だと思っているし、この場合もそう振る舞った。現場のナースは「?」のようだったが、仕方ないかもしれない。V4R誘導は無~軽度としても、V3R誘導はST上昇ありの可能性が考慮できるだろうか。なお、ニトログリセリン舌下投与後も心電図はほぼ不変であった。
現行ガイドラインでは、ACS初期診断において“ST上昇型心筋梗塞(STEMI)か否か”が重要視される。一部でこの良し悪しを議論する向きもあるが2)、「隣接2誘導以上でのST上昇」という診断基準では、本例は少なくとも典型的なSTEMIには該当せず、非ST上昇型急性冠症候群(NSTE-ACS)ということになる。病歴に加えて、心電図的にもACSであることには異論はないにせよ、STEMIと見なすか、そうでないかが多少ややこしい心電図ではないかと考える。
しかも、経験ある医師ならきっと“だけじゃない”にも気づくだろう。R-R間隔はレギュラー、心拍数43/分で単なる洞徐脈かと思いきや、PR間隔の変動、特に胸部誘導でP波がQRS波にクロスする所見を正しく見抜けば、等頻度房室解離(isorhythmic AV dissociation)で、心室は房室接合部補充調律による捕捉と推察できる。可及的速やかな対応を要する現場で、これくらいの診断が瞬時にできれば、もう初級者は“卒業”できている。
この症例に対して、“次の一手”はどう考えるべきだろうか?「隣り合う2つ以上ルール」を知らず、胸痛プラスⅢ誘導だけのST上昇で“急性心筋梗塞”だと考えて即循環器医へ引き渡すシンプルな発想の人が一定数いる(それはある意味“beginner’s luck”だ)。その一方で、諸々の所見はあっても、結局、NSTE-ACSなら、心筋トロポニンや心エコー所見なども総合した“ゆっくり速く”の対応でよいという人もいるかもしれない。しかも、症状が治まっており、土曜日の夕方6時・緊急カテ対応不可の病院なら、“とりま入院”で翌朝または週明けに循環器医にコンサルトとされるケースだってあるかもしれない。
実際の対応はどうしたか?
静脈ライン確保の指示、心筋マーカーも含めた血液検査もオーダーした来院5分時点での筆者の判断は、緊急でカテ治療が可能な“循環器センター”への搬送だった。救急車で15分の距離にあるよとベテラン・ナースが即答で教えてくれた。
「症状が治まってるんですよね。じゃあ別に焦らず、1回、心電図をFAXしてもらってから、こちらで判断させてもらえませんか? あと、トロポニンの結果も見たいなぁ。できればエコーもしてみてもらえませんかね?」
依頼先ドクターとの電話で確かこう言われた記憶がある。最終的には転送を受けてくれた。ただ、相談する側からすると、ストレスを感じる応対で、電話を切った後しばらく胸の奥にモヤモヤ何かが浮いていた。しかし、最終的には転送を受けてくれたから、やはりありがとう、ただその気持ちだ。
30~40分後、既にNさんは筆者のもとにはいなかったが、心筋トロポニンT 0.031ng/mL(基準値:0.014ng/mL以下)、CK/CK-MB上昇なしとの結果だった。
筆者が転送を急いだ理由は既述の徐脈だけでなく、非ST上昇型心筋梗塞(NSTEMI)というよりは“STEMI-equivalent”、いわゆる「Aslanger’s pattern」と診断したからである。下壁梗塞の亜型のひとつとされ、回旋枝の寄与が稀でなく、慢性閉塞性病変(chronic total occlusion)を含む多枝病変で予後不良であることも知られている3)。ただ、搬送を急ぐ際、こうした講釈じみた“釈迦に説法”している時間的な猶予もないだろう。病歴と所望の心電図を送るに留めた。
筆者に心電図の話をさせたら、止まらない。まだ所見が言い足りない。血圧低下などはなく、V4R誘導でもST上昇はないようだが、V1誘導でSTレベルは基線から軽度上昇しているようにもみえなくもない。少なくともV2誘導以下と比べて“相対的上昇”と読むべきだ―研修医・レジデント時代から同門のご高名な先生方から繰り返し指導を受けてきた記憶も蘇る。典型的な右室梗塞ではなくとも、右冠動脈(RCA)の近位部閉塞が頭をよぎる。徐脈の正体も、単なる迷走神経反射というよりは、洞結節枝への血流障害が影響しているんじゃないだろうか?
とにかく、患者、そして心電図を見て疾患の“ストーリー”を描き出す訓練を続けた日々が懐かしくもある。一方で、Wellens HJらの言うRCA遠位部パターン4)のように感じられなくもない。RCAなのかLCX(左回旋枝)なのか? でも、LCX閉塞で洞機能障害はまずきたさないだろう……じゃあ、“culprit”(責任血管)がRCAなら閉塞しているのは近位なのか遠位だろうか? ここに第2のモヤモヤが生まれた。“正解”が知りたい……その気持ちが湧き上がる。このくり返しこそが、“上達の秘訣”である。
このように、Nさんは相談時点でも、そして搬送後もモヤモヤが残ったケースであった。というのも、救急車の後扉が閉まる直前、Nさん自身が筆者の手を握って感謝の言葉を述べてくれた―まだ、カテも手術もしていないのに……。送ったほうの医師を支配するのは安堵感だけではない。患者さんは結局どうなった? 本当に冠動脈閉塞はあったか? あったとすればどこ? スパズム(冠攣縮)ではなかったか? ますます気になって仕方がない。筆者の性分もあるかもしれないが。
定期的にアルバイトに行っている病院でなく、いわゆる“スポット”的な当直であったため、実際の“正解”を筆者は知らない。翌朝まで先方から電話その他での連絡もなかった。その後しばらく、その病院に電話をかけて、顛末を確認したい衝動にも駆られたものだ(実際にはしなかったが)。
拙文の“肝”は、平素各所で行っている心電図のレクチャーとは異なる。仮に当日に心カテがなされ、治療を行ったのであれば、電話で簡単にでもその結果や経過を一言欲しかった―そう思うのは、筆者が循環器医だからだけではないと信じる。救急を担当する医師は、患者や他のメディカル・スタッフ等との関係性の中でいろいろな思いで職務をしている。当日の結果報告を不快に思う者はいないだろう。もちろん、すべての医師が同じ気持ちとは思わないが。
小学生のとき、「うちに着くまでが遠足」と言われたが、循環器医の仕事もPCIをして“カテレポ”を書いて終わりではない―丁寧な文書までは不要でも、命のバトンをつないだ医師への取り急ぎの連絡も重要な“責務”ではないか。多忙なのはわかった上でもだ。もちろん、殊勝にも電話で結果を伝えようとした際には、別の医師に勤務交替しており、素知らぬ風をされ何とも言えない気持ちになるかもしれないが……でも、それでいいじゃないか! 全例ではないが、“次”の状況でもその病院・その医師に送りたいと感じる好材料のひとつになるし、こうした配慮のできる医師のほうが、患者に優しく、トータル・マネージメント能力も高いのではないかと秘かに思っている。
あ~ん、もうダメだ。このモヤモヤ、どう“成仏”させたら良いのだろうか―筆者が選んだ道は心電図を用いたエッセイという形で読者に問うことにしてみた。ここから何か共感してもらえる部分があったら嬉しい限りだ。
【文献】
1)日本循環器学会:急性冠症候群ガイドライン(2018年改訂版). 2022.
https://www.j-circ.or.jp/cms/wp-content/uploads/2018/11/JCS2018_kimura.pdf
2)Aslanger EK, et al:J Electrocardiol. 2021;65: 163-9.
3)Aslanger E, et al:J Electrocardiol. 2020;61: 41-6.
4)Wellens HJ:N Engl J Med. 1999;340(5):381-3.