ネルソン・マンデラがアパルトヘイト廃止後にも、黒人たちを差別し続けてきた白人たちに報復的な態度を取らず、民族間の融和を図ったのは有名な話だ。同じことをイスラエルにも要求したい。
大切なのはガザ地区の虐殺を止めることだ。何万人もの市民が無惨に殺されて、国際社会がこれを黙認してはいけない。人命を尊ぶ我々医療者も同様だ。
日本では政治的な発言や態度を嫌う奇妙な習慣があり、それは医療界でも散見される。確かに目的としての政治的態度はしばしば鼻につく。しかし、ここで求めたいのはあくまで手段としての政治性だ。大事なのは人命が守られることであり、その点において心肺蘇生も虐殺の抑止も何ら変わりはない。世界の医療者は声を上げてガザの虐殺を止めさせるべきだ。現地では医療従事者も殺され続けているのだし。
こういう話をすると、必ず「そもそもハマスがテロ行為を……」などと賢しらに言う人が出てくるが、この問題には「そもそも」を設定すること自体が不毛である。どこまで「そもそも」を遡及すればいいというのか。ガザ地区に大量の難民を発生させたイスラエルなのか、イスラエルをそうさせた、第一次中東戦争を起こしたアラブ諸国なのか、合意もなくユダヤ人を入植させた三枚舌外交のイギリス、あるいはフランスやロシアなのか、紛争地区をつくってしまったオスマン帝国なのか、あるいはそのオスマン帝国を滅ぼした国々なのか、あるいはユダヤ人を迫害してきたキリスト教社会なのか、あるいはディアスポラを強いたローマ帝国か。世界史上の数多のエピソードが現在の遠因のパズルの1ピース、1ピースになっている。「そもそも論」は永遠の水掛け論しか生まない。
だから、ネルソン・マンデラが南アフリカでそうしたように、我々も「そもそも誰が悪かったのか」という議論を「一回、脇において」虐殺を止めることだけをイスラエルに要求すべきなのだ。国連で拒否権を発動させ、虐殺を黙認したアメリカ合衆国を難じるべきなのだ。
第二次世界大戦後、ナチス・ドイツが多数のユダヤ人を無慈悲なやり方で虐殺していた(ホロコースト)事実を知り、世界はショックを受けた。これは事後的に知らされた虐殺の事例だが、我々は「今・現在」起きている虐殺の事実を知っている。知っていて知らんぷりをするのは「医の心」に明らかに反する。声を上げよ。Speak up.
岩田健太郎(神戸大学医学研究科感染治療学分野教授)[医療者の声]