製薬企業の不祥事、特に薬の製造・品質の不正(規則の不遵守)は続々と続き、重要な基礎医薬品の供給不足のきっかけとなった。
専門家は品質管理・査察の強化、認証制度、薬価の底上げ、企業統合といった様々な提案をしている。行政・業界が「何かやっている感」を出すための提案はむろん大切。が、それに加えて、「規則からの逸脱は原理的に避けようがない」という人類の知恵にももう少し興味を持つべきだと思う。
「承認書に記載された方法で薬をつくる」という当然の原則にしたがうことはむずかしい。たとえば承認書には「原料を100g取って水10リットルに溶解する」と書いてある。が、原料を手で取るのか、足で取るのか、ロボットハンドを使うのかの記述はない。ある規則にしたがう行動は無限に存在しうる。操作(行為)すべてを記載できるわけがない。
単に記述の数・量の話ではない。たとえば「測(はか)る」という言葉を「機器のデジタルの数値を読み取ること」と解釈している人がこの世にはいるかもしれぬ。実はこの人、上皿天秤に重りを載せて測る行為を「はかる」だとは思っておらず、それには別の私的な言葉(たとえば「はきる」)を当てているらしい。「測る」の意味がどこかズレているのだが、現実にはそのズレは露呈しないかもしれない(上皿天秤なんて最近使わないし)。
当局による査察は解決策とはならない。査察とは結局チェックリストによる確認である。だが「完璧な」チェックリストなどこの世には存在しないのだ。だって、無限の数の項目のリストを人類はつくれないし(上述)、仮に無限のリストをつくれたとしても、もう1つ致命的な問題が。「チェックする人がまともである」という項目を誰がチェックをするのだろう? 「自分(査察者本人)」ではダメである〔「私なら大丈夫」というセンセイはご家族に一度確認してみて下さい(笑)〕。より上位の査察者を連れてきても同じこと。
以上は、規則と意味への懐疑として哲学者が数千年論じている問題である。最近のAIの文脈では「フレーム問題」として論じられることも。
「定められた規則にしたがうことが原理的に不可能」という主張は、たとえそれが人類数千年の知恵であったとしても、戯言として無視したくはなる(社会が成り立たなくなるもの)。しかし、わずか数十年の薬事法の歴史においてすら「完璧に遵守された規則」が存在したことはたぶん一度もないという厳然たる事実からは目をそらしてはなるまい。
医薬品業界(産官学すべて)は今この瞬間も規則から逸脱しているはずである。逸脱たちは日の目を見るときを今か今かとワクワクして待っている。
小野俊介(東京大学大学院薬学系研究科医薬品評価科学准教授)[規則からの逸脱]