前回の本稿(No.5240)では、「患者様の思いを傾聴し、寄り添った医療を提供いたします」という、よくありがちな医療者の研修目標の文言を引き合いに、「そもそも傾聴するとはどういうことか」について解説した。
本稿では、後半の「寄り添う」という概念について深掘りしてみようと思う。
専門用語である「傾聴」より、「寄り添う」は日常用語である分、その定義づけが難しい。しかし、「24時間365日患者さんのベッドサイドに居続けること」が寄り添ったことにはならない、というのはわかるだろう。では、「どれくらいの時間、ベッドサイドにいればそれは寄り添ったことになるの?」と指導者が学び手に問いかけたら、それに対して適切に答えられる人はいるのだろうか。
そもそも、「寄り添う」などといった文言を用いて研修目標を立てている時点で、設定自体が間違っているのかもしれない。なぜなら、「寄り添う」の主語は学び手であり、その結果、患者さんがどのような状態になるのが望ましいと考えているのか、という部分が抜け落ちているからだ。患者さんは、そんな学び手の人たちに「寄り添って」ほしいなんてこれっぽっちも望んでいないかもしれない。それを「患者さんは医療者が優しく『傾聴』して、患者さんの思いに『寄り添った』医療を提供すれば喜んでくれるはず」という勝手な思い込みで接するのは、患者さんに対する冒瀆である。
患者さんの世界観はどうなっているのか、これまでこの人はどんな人生を歩んできたのか、そしてこれからどうなっていきたいと夢見ている未来があるのか。目の前にいる患者さん一人ひとりを大切にしようと考えるなら、自然と「傾聴」の3原則を満たしながら相手との時間を過ごすことができるはず。その上で、「自分は医療者として、この人の世界観の中で何をお手伝いできるのだろう」と真摯に考えることこそが、結果的に「寄り添う」ことにつながっていくのではないかと思う。患者さんと会ってもいない段階で、「誰に対しても当てはまるような」研修目標を立てている時点で、おそらくその研修は破綻の一丁目にいる。目の前にいる患者さんを、まずはしっかりと見てほしい。
監修:福島沙紀(臨床心理士・公認心理師)
西 智弘(川崎市立井田病院腫瘍内科/緩和ケア内科)[傾聴の3原則]