筆者は10年以上お産や帝王切開に携わっているが、今でもお産や帝王切開を行うときは緊張している。産婦人科医以外の方からすると、産婦人科医が「極度に安全を優先し」「安全に口うるさく」「安全に前のめり」なのか理解がしづらいと思う。これには4つの理由がある。
通常、患者は1人であり、身体に異常があれば何らかの症状が出たり、患者の口から説明できることが多い。しかし産婦人科医は、お腹の中にいて直接目で見ることのできない「赤ちゃん」も守る必要がある。常位胎盤早期剥離は、母親は無症状で発症することもあり、これが起こった際は30分以内の分娩をめざして超緊急帝王切開術等をしなければ胎児に重篤な障害が残ったり、最悪の場合亡くなってしまう。2021年の妊娠22週以降の死産は2236件であり、死因の約6.5%は常位胎盤早期剥離とされている1)。
通常「重篤な病気が起こりにくい」から低リスク患者と評価されるが、産婦人科では異なる。低リスク患者は「今この瞬間はリスクが低い」という意味が強く、翌日以降に重症化する可能性は十分にある。翌日急に血圧が上昇し妊娠高血圧症候群になったり、分娩直前まで低リスクだった患者が、分娩が進行しなかったり、胎児の状態が悪く緊急帝王切開が必要になることもある2)。また、分娩までまったく問題がなかった患者が、胎盤が出たあとに滝のような大量出血が起こり、高次周産期施設へ搬送になることもある(単胎の経腟分娩において1000mL以上の出血頻度は約9%)3)。「低リスク患者だから分娩まで安全」とはまったく言えないのがお産なのである。
日本の妊産婦死亡214人の解析では、初発症状から心肺停止まで30分以内と早かったものは、羊水塞栓症、脳出血、心血管疾患であった4)。妊婦の心肺停止では胎児も救命措置が必要になることがあり、すべての病院で対応できるわけではない。日本では、分娩の約半数は診療所で行われており、とにかく異常を早期発見し迅速に高次周産期施設へ搬送することが母児の救命において最も重要になる。
どれだけ「安全に前のめり」であっても、母児の死亡が起こってしまうことがある。日本では1年間に約40〜50人(4人/10万出生)の母体死亡が起こっているが、他国(米国:22.3人/10万出生、英国:13.4人/10万出生、フランス:8人/10万出生)と比較して少ない水準にある。そのためか医療裁判の一部には、医療の不確実性や周産期診療の特殊性(分娩は命の危険が伴うものであり、防ぎきれない死や障害発生が起こりうること)が考慮されずに判断されていると感じる。医療事故を振り返って議論するときには病名や適切な対処法が自明にみえる症例も、実際に対処している瞬間には病名や状態が不明で、医療資源(人や治療法、検査)が限られていることも多い(日医総研ワーキングペーパー)。医療事故には、医療従事者の過失が原因である医療過誤と、過失のないものがあるが、「被害者がいるから医療従事者が悪い」という視点で報道や裁判が行われる場合、医療現場は萎縮し「リスクがある患者や重症患者の診療は断る」という対応が増える可能性がある。
妊娠やお産に伴うリスクを正しく理解し、社会全体で「安全に前のめり」になることができれば、日本の母体安全は向上し、1人でも多くの妊産婦を救えると信じている。
【文献】
1)日本産科婦人科学会:日産婦誌. 2024;76(6):655.
2)Ueda A, et al:AJOG Glob Rep. 2024;4(3):100366.
3)Fukami T, et al:PLoS One. 2019;14(1):e0208873.
4)Hasegawa J, et al:BMJ Open. 2016;6(3):e010304.
柴田綾子(淀川キリスト教病院産婦人科医長)[周産期診療]