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【識者の眼】「種痘・ワクチンギャップ・バイオテロ・エムポックス」岡部信彦

岡部信彦 (川崎市立多摩病院小児科)

登録日: 2025-01-23

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天然痘(痘瘡)は「死に至る疫病」とし恐れられた疫病で、英国のDr. Jennerが、牛痘による予防法「種痘」を確立させた。「種痘を受けると牛になる」「効果がない」など、強い反対の声もある中、種痘が普及した地域ではしだいに天然痘の発生は収まっていった。わが国でも1800年代以降、先人たちの努力により種痘が普及し、1909年には種痘法が制定され、1956年以降国内での発生はない。WHOは1980年、世界天然痘根絶宣言をした。

種痘は、種痘後脳炎、全身性種痘疹などの激しい副反応が時に発生する。千葉県血清研究所・橋爪壯部長(当時)らは、1976年世界中で最も安全性が高いとされる高度弱毒細胞培養痘そうワクチンLC16の開発に成功したが、同年に国内での種痘の定期接種が廃止され、LC16は実用化されることなくディープフリーザー内に保存された。

1992年の「予防接種被害東京集団訴訟」は、疾患のない中、強制接種によって行われた種痘等による重症副作用につき国の過失を認定した。人々のワクチンに対する信頼度は低下し、予防接種に対する国の姿勢は受け身的になり、国内での新たなワクチンの開発意欲が低下、海外諸国に比して「ワクチン後進国」「ワクチンギャップ」という言葉が生まれた。

LC16は、新たなワクチン製法であるベクターワクチンのウイルスとして世界的に注目されたが、これまでに実用化されたものはない。しかし、オウムによる地下鉄サリン事件や米国同時多発テロ事件などから、根絶した天然痘ウイルスが生物テロに用いられる可能性が危惧され、ワクチンの備蓄が国際的な課題となった。安全性の高いLC16は海外からも注目され、国内での再生産・備蓄を国として行うことが2001年に決定された。

LC16は、三度目の注目を浴びている。それは、エムポックスの流行的発生である。最近では病原性が高いとされるクレードⅠbの流行がコンゴ共和国を中心に発生し、欧米やアジアへの波及が報告されている。WHOは2024年8月、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」の再宣言をし、同年11月にLC16を世界2番目のエムポックス緊急ワクチンとして登録した。同月日本政府は、コンゴ共和国に305万回分のLC16と専用接種針を寄付すると発表した。これはエムポックス危機対応に対する最大規模の支援となる。

橋爪博士らのグループが、世界で最も副作用の低い種痘として開発したLC16は、陽の目を見ることなくディープフリーザーに眠ってしまったかのように見えたが、新たなワクチン開発への材料、バイオテロに対する備え、そして新たな世界の問題となっている感染症のワクチンとして、三度登場している。このことは、社会的に遠ざけられ、害の塊かのように誤解されたりすることのあるワクチンであっても、その改良・開発は、人々、国家、世界にとって必要であることが示されたと言えよう。

また、それに費やされ、蓄積された技術はきちんと継承しておくことが人類の役に立つことがある、と言える。これは一研究者や一組織、あるいは一企業だけの考えだけではなく、国の方針としての感染対策として重要である、ということを表している。

岡部信彦(川崎市立多摩病院小児科)[感染症][ワクチン開発][天然痘]

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