No.5264 (2025年03月15日発行) P.60
安藤明美 (安藤労働衛生コンサルタント事務所、東京大学医学系研究科医学教育国際研究センター医学教育国際協力学)
登録日: 2025-01-29
最終更新日: 2025-01-29
昨今の物価上昇、とりわけ食料品の価格高騰により、食料安全保障は社会問題の1つとなっている。その基盤を支える農業従事者の健康問題は、食料供給体制全体に影響する重要な課題である。農業は重機械の使用や化学物質への曝露があり、重い収穫物を運ぶなど重労働であるにもかかわらず、多くの農業従事者は産業保健の恩恵を十分に受けているとは言いがたい。背景には日本の農業は小規模経営が主流で、約60%の農家が年間売上高500万円未満の小規模農家や個人事業主であり、産業保健へのアクセスが難しいことが考えられる。
農業従事者の多くは、作業姿勢などによる腰痛や関節障害、農薬などの化学物質による健康障害、気候変動に伴う熱中症、農作物に対するアレルギーといった職業病のリスクにさらされている。トルコの研究論文では、農業従事者の33%が労働災害を経験しているとされ、その要因として多いのは「個人保護具の着用が不十分であること」1)で、産業保健の視座があれば防げていたと考えられる労働災害が多いことが示唆される。
一方、厚生労働省の「農業における労働災害等の状況」によれば、国内農業の労働災害は全産業の2.5倍で、労働災害死亡の原因のうち約20%は自然環境が要因となっており、中でも気候変動に適応した作業方法への転換は急務と言える。
農林水産省によれば、2023年時点の基幹的農業従事者の平均年齢は68.7歳となっている。この年代であれば何らかの持病があって診療所・病院に通院する人も少なくない。実際、厚生労働省の「国民生活基礎調査の概況(2022年)」によれば、男女ともに60歳代では60%近く、70代歳では70%以上の人に持病があり、通院をしているとされる。
さらに、持病がなかったとしても、高年齢者の予防接種に対する意識は高く、予防医療によって医療機関に関わる人も加えれば、かかりつけ医療機関は、相当数の農業従事者とつながることができる。こうした医療機関と農業従事者との接点で、主治医あるいは医療スタッフから健康を害さずに働くことに関して助言を受けることができれば、一部の労働災害の予防につながると考えられる。
国内では将来にわたる安定した農作物の供給が危ぶまれている。農業従事者が安全かつ健康に農業を継続するために、社会インフラの重要なステークホルダーであるかかりつけ医療機関がサポートすることは大変意義深い。医療機関が人々の健康を守る医療に携わることのみならず、産業保健の一部を提供することは、日本の持続可能な食糧の安定供給をも支えることとなるという自負を持ちたい。
【文献】
1)Ekmekci M, et al:BMC Public Health. 2024;24(1):2732.
安藤明美(安藤労働衛生コンサルタント事務所、東京大学医学系研究科医学教育国際研究センター医学教育国際協力学)[産業保健][かかりつけ医療機関]