▼間もなく70回目の終戦記念日を迎える。先日、宮内庁が「玉音放送」の原盤を公開するなど、節目の年だけに先の大戦を巡る話題には事欠かない。こうした中、安全保障関連法案が参議院で審議入りした。
▼頻発するテロや中国などの脅威に国家としてどう対応するか。性善説や理想論、建前がまかり通る状況でないことは確かだ。現在米国は防衛費を抑制する傾向にあり、今後相互的な安全保障関係で結ばれた国以外は守らなくなる可能性もある。しかし、歴代の政権が「違憲」としてきた集団的自衛権の行使を、情勢の変化だけで容認していいものだろうか。
▼先月24日には、医師や看護師など医療関係者が安保関連法案の廃案を求め集会を開いた。同法案の問題点は、首相が認めるように国民の理解が十分でないまま審議が進んでいることだ。自民党は昨年の総選挙で、「安保法制の整備」を公約としており、法案提出は一定のプロセスを経ている。しかし、その妥当性は国会審議を通じ、国民の理解を高めるという前提があってこそ。集会では、命を預かる政治家には医師と同様、「インフォームドコンセントの姿勢が不可欠」と、医療関係者ならではの指摘があった。
▼防衛省の16年度予算概算要求は、周辺海域監視用ヘリコプターの購入費用などを含む総額5兆円超となる見通しだ。法案が成立すればさらに防衛費は増大し、一方削減対象となるのは社会保障費だろう。
▼「存立危機事態」や「後方支援」の定義は重要だが、「平時の社会保障」と「平時を担保する安全保障」という2つの国益のバランスを、どう考えるかとの視点も必要だ。超高齢社会で社会保障費を抑制することは国益に適うか。参院では、法案成立後の安全保障と社会保障にかかる費用を踏まえた上で、国家のグランドデザインを見据えた議論を尽くしてほしい。