【Q】
2013年12月にアルコール健康障害対策基本法が成立し,2014年6月に施行されました。全国住民調査によりますと,国際疾病分類 第10版(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems:ICD-10)のアルコール依存症の基準を満たす人は全国に109万人程度と推計されています。この法律はアルコールによる健康障害対策の基本を定めた法律として大変重要な意義深い法律だと思われますが,医療関係者の間でもまだ十分には知られていないようです。
この法律の意義について,制定を提唱された,かすみがうらクリニック・猪野亜朗先生にご回答をお願いします。
【質問者】
松下幸生:国立病院機構久里浜医療センター副院長
【A】
(1)アルコール健康障害対策基本法の制定と医師の責務
2013年12月7日,アルコール健康障害対策基本法が国会で成立しました。アルコール関連の学会だけでなく,日本消化器病学会,日本肝臓学会,日本内科学会,日本プライマリ・ケア連合学会,日本精神神経学会が賛同団体に加わり,さらに,日本医師会,日本看護協会,日本精神科病院協会などの職能団体も賛同し,この基本法は実現しました。
アルコールは健康障害だけでなく,飲酒運転,自殺,虐待,失職など多くの問題を生じさせます。しかも,アルコールの作用により,問題が生じていても当事者は問題を正確に認知できません。これが当事者の最大の悲劇です。家族が気づいても当事者は気づかないので,家族はもっと悲惨です。
こんな悲劇からの早期回復のために内科との連携を私は模索してきました。前進は遅々たるものでしたが,「これしかない」と基本法を提案したところ,多くの賛同を得て実現しました。
基本法には「基本理念」として「アルコール健康障害の発生,進行および再発の各段階に応じた防止対策を適切に実施する」「アルコール健康障害を有し,または有していた者とその家族が日常生活および社会生活を円滑に営むことができるように支援する」「アルコール健康障害に関連して生ずる問題の根本的な解決のため,有機的な連携を図る」ことが掲げられました。
また,「医師等の責務」には「アルコール健康障害に係る良質かつ適切な医療の実施」が,「アルコール健康障害に係る医療の充実等」には「節酒または断酒の指導ならびにアルコール依存症の専門的な治療およびリハビリテーションを受けることについての指導の充実」「連携の確保」が規定されました。毎年11月10~16日がアルコール関連問題啓発週間と制定され,医療機関にも様々な取り組みが求められます。
以下に,基本法が医療現場をどう変えるか,ポイントを挙げておきたいと思います。
(2)エビデンスに基づいたアルコールについての正しい知識を社会が共有できるようにする
日本の社会は飲酒に寛容ですが,社会規範を外れると「大酒飲み,アル中」と蔑視し,排除するため,本人は「俺はアル中ではない」と否認を増強させ,治療のチャンスを得にくいのです。
しかし,アルコール依存症は意志の弱さではなく,脳の疾患であり,関連する異常な行動は脳組織の機能不全の結果であると脳科学は明らかにしています。
「健康日本21」では「節度ある適度な飲酒の普及」という観点に立っていますが,米国厚生省などは,「飲酒にはリスクがある」という観点に立っています。
全世界で年間250万人,日本では年間3万5000人がアルコールの関与で死亡し,日本社会は医療費や労働損失として年間4兆円以上を失っています。
また,アルコール依存症スクリーニングテストであるCAGE(Cut down,Annoyed by criticism,Guilty feeling,Eye-opener)を使用した7つの都立総合病院の外来患者調査では,男性の2割,女性の1割にアルコール依存症の疑いがあることも判明しています。
日本の社会意識に,「飲酒にはリスクがある」という観点が定着すると,社会が飲酒者の否認を支える構造がなくなって当事者が気づきやすくなり,治療が容易になるでしょう。
(3)飲酒行動はスペクトラムであり,「SBIRT」(エスバート)による対応が求められる
アルコールによって肝機能が悪いと,多くの医師は「お酒は控えて下さい」「飲みすぎないで下さい」「休肝日をつくりましょう」と指導し,酩酊の患者には「見て見ぬふり」をしてきました。このような現状の問題は,スクリーニングをせずに患者の飲酒指導をしている点です。
スクリーニングし,その結果に基づいて節酒指導か断酒指導の簡易な介入を行い,アルコール依存症の場合には専門治療へ紹介する体系を,SBI
RT(Screening,Brief Intervention,Referral to Treatment:エスバート)と呼んでいますが,医師の責務としてSBIRTを行うことが求められます。これには時間もエネルギーも要するので,診療報酬の付与が必要です。対価が払われることでSBIRTが普及し,医師の責務が果たされると期待しています。
(4)多職種・多機関連携を前進させる
アルコール健康障害とその関連問題は,かかりつけ医,救急外来,一般外来,病棟,専門治療機関が関与し,介護機関,保健所,救急隊,警察,職域,女性相談所,裁判所,弁護士なども関与します。どの機関が機能不全を起こしても,早期発見や患者の安定した回復は期待できません。
医師には,このような多職種・多機関連携の一翼になることが求められます。
以上,アルコール健康障害対策基本法は医療現場を大きく変えると期待しています。