子どもは一体なぜ、かわいいのか。にもかかわらず、なぜ時として虐待されるのか。この矛盾する命題を一元的に説明するのは容易でないが、虐待というものがあらゆる養育現場で普遍的に発生しうる現象であることを理解する上で、重要な問いである。
利己的遺伝子論で考えると、子どもの養育とは、共有する遺伝子の繁栄を目的とするステークホルダー間で営まれる生物学的資源の共同出資事業である。この構図は、繁殖の手段として子どもの養育を行う生物種に共通しており、哺乳類で顕著である。しかし、投資される資源の費用対効果は環境によって大きく変動するため、資源が潤沢に供給されることもあれば制限されることもあり、場合によっては剥奪されることさえある。すべての養育の現場ごとに事情に応じた合理的判断がなされるのに対して、子ども側は幼少であるほど成す術を持たない。冒頭の問いは、なぜその必要があったのか、と読み換えるとわかりやすいかも知れない。
“Nothing in Biology Makes Sense Except in the Light of Evolution”は、テオドシウス・ドブジャンスキーが1973年に発表し、そのまま教訓的名言となった論文のタイトルである。生物進化のトレードオフとして生じた、虐待現象を能動的に制御するために、現代を生きる私たちは何をすべきだろうか。人類が後天的に獲得した倫理や道徳という光源による射影でのみ解釈することは的外れであり、法令や医療による対症療法には限界がある。
生物進化の観点でその根源的な存在理由を考えてみることで、子どもへの虐待の本質を誰しも深く理解できるし、そこから生み出される対策が子ども虐待予防のポピュレーションストラテジーとして有効に機能するに違いない。この問題に献身的に取り組まれているすべての方々に深く感謝しつつ、今年は私も一隅を照らすことができるよう努めたい。