1948(昭和23)年に吉益脩夫(1899~1974)が発表した『犯罪人─性格と運命』1)(以下、『犯罪人』)は、吉益自身がその序論の中で、「犯罪心理学の中心問題である性格の問題を終始一貫して取り扱った」と語っているように、当時の犯罪学の新たな課題を論じた論考であるが、第1章の「犯罪研究の積極面」では、病跡学的な問題が論じられている。
『犯罪人』は、吉益脩夫という、わが国の優れた犯罪精神医学者によって書かれた病跡学的な作品としても注目に価する作品なのである。
『犯罪人』の第1章「犯罪研究の積極面」の第1節「天賦と犯罪」を、「犯罪の真因を智能の欠陥に求めたことは疑もなく誤りであった」という一文で書き出した吉益は、それを裏づける歴史的な事実として、次のような天才的な人物と犯罪の関係を列挙している。「近世哲学の祖フランシス・ベイコンは収賄罪により有罪の判決を受け(後に恩赦)、オスカー・ワイルドは風俗犯により、ヴェルレエヌは傷害罪により、獄に投ぜられた。同じく詩の天才ヴィヨンは盗賊団の首魁としてパリを震撼し、末期ルネサンスの天才彫刻家ツェリニは法王や国王の宝物を盗み或は人命を奪うなど乱暴狼藉の限りをつくした。宗教学者ウリール・アコスタは兄弟に対する怨恨から彼を殺害せんとしたが犯行を他人に見られたため自殺して果てた。また表現派の詩人ゲオルヒ・カイザーは横領罪で懲役刑に処せられた」。
このように、多くの天才的な人物が犯罪者でもあったという歴史的な事実に注意を喚起した上で吉益は、犯罪心理の研究には、「天賦の優れた特殊な人を選んで研究することが望ましい」、「とくに貴重な資料は天才人の伝記ことに告白である」として、天才を犯罪学的な視点で研究することの意味を、次のように強調するのである。「これらの事例には顕表的犯罪にたち到らない萌芽の状態に於ける現象とか、或は過去の犯罪生活を一擲して社会化した場合のように犯罪心理学上極めて重要な事象に就いて我々に教えるところが少なくない」。
同じ第1章の「天賦と犯罪」の後に置かれた「無頼の徒ツェリニとヴィヨン」、「奔放不羈の自然人ランボー」、「弱志性精神病質人ヴェルレエヌ」、「過感流浪の天才ルソー」の4つの節では、それぞれ表題に掲げられた人物についての事例的な検討が加えられる。
まず「無頼の徒ツェリニとヴィヨン」では、「一人はイタリヤの天才彫刻家、一人はフランスの天才詩人、この二人程犯罪性を遺憾なく発揮した天才は史上に稀である」と指摘する。その上でツェリニについては、「その生涯はあらゆる種類の犯罪の連続であった。彼は3人の生命を奪い、法王の宝物を盗み、また仏王所有の銀器を掻払った」と語る。また、ヴィヨンについても、「若いときから無頼漢となり、後には組織化された盗賊団の首魁として、卑劣な殺人以外のあらゆる犯罪を行った」と指摘した後、晩年のヴィヨンについては、「後になって社会化し、俳優に転身して人を驚かした」、「俳優という職業が適わしかったのかも知れない」、「以前反社会的となって現われた本能を舞台に於て代償的に発散する事が出来たために無害となったと解せられないことはない」と、自分に相応しい活動の場を見つけたことが社会適応につながった可能性を指摘している。
次の「奔放不羈の自然人ランボー」では、ランボーにもヴィヨンと似たところがあるとして、「彼はヴィヨンのように法律上の犯罪者とはならなかったが、それは彼の突飛な冒険的放浪生活が犯罪を代償したためとも考えられる」、「このような性格の人には思い切って広い活動の天地を与えてやることが必要である」と、やはり社会的な活動に犯罪代償的な効果があるという考えを述べている。
さらに、「弱志性精神病質人ヴェルレエヌ」では、ランボーとも交流のあったヴェルレーヌを取り上げて、その人生を、「裁判官の娘と結婚したけれども酩酊してしばしば妻に暴行し、ときには彼女を殴り或は髪をマッチで焼き或はナイフで傷つけた」、「結婚後幾何もなく10才年下の少年天才詩人ランボーと知り合って、同性愛に陥り、終に妻を棄てブリュッセル、ロンドンなどを約1年以上に亘って放浪した」、「ランボーが訣れようと申出ると、絶望してピストルを発射して彼の腕を傷つけた」などと記している。
残り2,130文字あります
会員登録頂くことで利用範囲が広がります。 » 会員登録する