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シュニッツラーの『闇への逃走』─被害妄想患者の心理[エッセイ]

No.4873 (2017年09月16日発行) P.70

高橋正雄 (筑波大学人間系)

登録日: 2017-09-17

最終更新日: 2017-09-12

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  • 1931年にアルトゥーア・シュニッツラーが発表した『闇への逃走』(池内 紀・武村知子 訳、岩波書店刊)は、「精神の病」のために南の島で静養していた43歳のローベルトが、ウィーンに戻って再び役所勤めを始めようとする話である。

    この年の春、ローベルトは、「記憶がもうろうとして仕事が手におえなくなった。他人のささいなことばが神経にさわり、ひどくこたえる」というような状態に陥ったため、「半年ほどのんびりと静養すれば全快する」という医師たちの勧めに従って、一人療養生活を送っていたのである。

    ところが、10月末にウィーンに戻ったローベルトには、被害妄想や追跡妄想を思わせる、次のような症状が出現する。たとえば、精神科医の兄、オットーの家の向かいに葉巻をふかしながら立っている男を見たローベルトは、「その優雅な出で立ちがいかにもうさんくさい」と思い、「尾行されている?」と思うようになる。また、同じホテルに泊っていた二人の女性が突然宿を出発したと聞いたときには、「あきらかに自分についての噂がとんでいる。噂だけだろうか――?もうとっくに尾行をつけられ、見張りがいて探偵に包囲されているのかもしれない。明朝早く逮捕される」と思っている。もっとも、このときには、「二人の出発の理由はいくらも考えられる。父親か、あるいは親戚の誰かが倒れた。ともかく怪しむことは何もない」と、ほかの可能性も考えて気をとりなおすのだが、ローベルトのこうした一方的な自己関係づけは、友人との間にも出現する。

    友人の医師であるラインバッハと散歩に出かけたローベルトは、「何のために彼はここへ来たのだろう?はっきりした目的があって、誰かに言われて来たのだろうか?」と不信の念を抱き、「いまラインバッハが妙にすばやく目をそらして、何ごともなかったかのように空を見上げているさまはどうだ、やはり気にかかる」と、友人のささいな言動にも隠された意味を見出して悩んでいる。

    また、詩人のカーンベルクが会いにきたときも、「この自分をわなにかけるためカーンベルクが代表で来たという可能性も考えられなくはない」と疑っている。

    とりわけ問題なのは、こうした疑惑が、彼が日頃尊敬し、親愛の情を感じていた兄のオットーにも向けられていることである。ローベルトは、休職していた頃の状態を、「ぼくはかなり長い間、夜ごとに部屋に置かれている水を飲む気になれなかった、誰かがさ、ボーイとか、ほかの客とかが、その水に毒をだね、命にかかわる薬物か何かを混ぜたんじゃないかと思ってね」と、かつての自分に被毒妄想があったことを打ち明ける。すると兄は、「疑わしいと思った水を化学的に分析させたりしたかな?誰かに毒殺の疑いをきせて警察に訴え出るとかさ」と尋ねてきたが、それに対してローベルトが、「そうはしなかった」と答えると、兄は、「破壊衝動が実際の行動に至らず、せいぜい罪のないものにとどまっているかぎりでは決して深刻なものではない」と言って、慰めた。そうした兄の対応に、ローベルトは心の重荷を取り除かれたように感じるのであるが、その後ローベルトは兄のやることに、「以前とはガラリとちがった傾向があらわれてきている」ことに気がつき、「兄の方が自分よりも病んでいるのではないだろうか」、「狂人がまわりの正常人を狂人と思いこむことはよくある」と、兄の精神状態を疑うようになる。

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