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「老い」と「病」[炉辺閑話]

No.4889 (2018年01月06日発行) P.119

難波光義 (兵庫医科大学病院病院長)

登録日: 2018-01-08

最終更新日: 2017-12-21

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新春よく耳にする言葉に、「めでたさも半ばなり」とか、「めでたくもあり、めでたくもなし」がある。その裏には「また一つ年をとる」という一抹の寂しさがあるのかもしれない。

昨秋、五木寛之氏の『孤独のすすめ』(中央公論新社刊)を何気なく購入した。後で知ったことだが、アマゾンのランキングや大手書店でもベストセラーらしい。人生という山の登り方ではなく、「無理のない」下り方が、淡々とした語り口で書きおろされていた。「さあこれから、どんなふうに下りようかなあ?」と、困惑している高齢者が今のわが国でいかに多いか、この本の売れ行きを見ただけでも想像に難くない。

医者の一生は、医学部に学び、前期・後期研修を終えるまでが「青春」、自立して後進の教育・指導あるいは研究や診療に専念できる期間が「朱夏」、勤務先や医学界・医療界全体における自分を見つめなおすゆとりができる頃が「白秋」とすると、「玄冬」という季節は、どういう期間なのだろう?おそらくは第一線を退いて、単に高齢者(あるいは、後期高齢者)と呼ばれる境遇になってからの期間ではないだろうか。

自らが「青春」、いや「朱夏」の頃には、様々な愁訴を患者さんが訴えると、「もう、お年ですからねえ」とまでは言わないものの、「それは、『病』というよりは、むしろ『老い』というべきなのではないでしょうかねえ?」と、応対することが多かったように思う。

このように「老い」と「病」とを、したり顔で使いわけてはきたが、では果たして、「老い」と「病」は異なるものなのか?もし異なるとすれば、その境目は?これは現代、いや次世代の医学・医療も直面するであろう難題である。

言うまでもなく「病」は、内因(体質)と外因(環境因子)が重なることで発症するが、もう1つ「老化(aging)」という厄介な因子も絡む。「すべてのがんは老化といえる」などは暴言であろうが、ひょっとすると「病」の少なくとも一部は、ある一群の細胞や1つの臓器の老化が、他のそれらと比べて速い現象をみているのかもしれないし、反対に「病」の結果あるいは影響で「老い」が早まる例や事象には、日常しばしば遭遇する。

人はみな、「病」を怖れてこれを忌避し、医学・医療の進歩に期待する。では、「老い」に対して、医学界・医療界はどう対処すればよいのか?

「白秋」どころか、「玄冬」を前にして、最早ひとごとではない、わが身の「老い」に割り切れない気持ちで迎えた新春である。

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