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神無月と霜降[炉辺閑話]

No.4889 (2018年01月06日発行) P.128

新田國夫 (日本在宅ケアアライアンス議長)

登録日: 2018-01-08

最終更新日: 2017-12-21

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私の家のトイレに歳時記カレンダーがある。毎日使用するトイレではないが、時々入るとこのカレンダーを見るのが楽しみである。10月は神無月である。昔習った記憶がある。神無月の由来は諸神が出雲大社に集まり、諸国の神々が留守になることから神なき月が転訛したものとされる。別の説もある。神さんは大社に集まり何を話していたのか、人間の困りごとをたくさん話していたに違いない。

今日は10月24日、昨日は霜降。今日は霜始降、初霜が降りる頃だそうだ。28日は時雨時施、時雨が時々降る頃だそうだ。だそうだ、と書いたのはいかにも実感がないからである。私は東京の郊外の国立で暮らしている。診療所まで歩いて20分の距離である。道は舗装され霜なるものはいつから見ていないのだろうか。霜の中をサクサク歩き季節を味わったのはいつだろうか。毎週どこかへ出かけ、仕事をする。出かけるときもほとんどの機会、その夜はその街で新しい人達と会い、話を聞き、とりとめのない話、いや私は真剣に話しているつもりだが、相手はそう聞いているのであろう時間が過ぎる。夜のために町の景色もない、どこでもおなじみのネオンがあり代わり映えがしない。朝起きて会場へ向かう。その間タクシーの中で資料を見ている。私の季節感はどこへ行ったのであろうか。

今霜が降りる時期が気候変動にて違っているなどと無粋なことは言わない。ただ季節感があり、毎年その四季を味わい、自然を味わうこともまた考えたい。このまま時が過ぎれば、人生を味わうことなくいつか病気になり、死が訪れる。人の豊かさは資料からは生まれない。政策から生まれない。人にはそれぞれの生き方があるが、自分を貫く生き方の中に、やはり自然と人を愛したいものである。

今、子どもたちは、私たちが当たり前としてきたことが経験できない。それが心の荒廃を生み、人生を病むものであれば、せめて高齢者に投資する医療、介護の無駄な費用を子どもたちにも分け、少し私たちが犠牲になってもよいかとも思う。

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