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Evidence based medicineが「正しい」わけではない[炉辺閑話]

No.4889 (2018年01月06日発行) P.75

寺本信嗣 (和光駅前クリニック、元筑波大学呼吸器内科教授)

登録日: 2018-01-05

最終更新日: 2017-12-21

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Evidence based medicine(EBM)が臨床医学に応用されて久しい。日本語に訳すと根拠に基づいた医学となり、日々の曖昧な臨床の重要な拠り所となっている。しかし、EBMがガイドラインに取り入れられ、臨床的な決断において、エビデンスレベルがついて回るようになった。こうなると、EBMは当初の定義からはずれ、「正しい医療」の根拠にされつつある。

しかし、果たしてこれでよいだろうか。たとえば、中年男性の高血圧患者では、この薬剤が勧められる、というエビデンスがあるとき、目の前の患者に、そのエビデンスをあてはめてよいか、疑問である。睡眠不足で眠れない人と、お酒をたくさん召し上がって診断されていない無呼吸がある患者に同じ薬剤でよいとは思えない。まずは、適切な睡眠確保だろう。

しかし、EBMでエビデンスレベルの高いRCTの多くは大規模であり、エントリー基準を満たせば、その患者の行動パターンなどは考慮されない。除外基準に、このような個人的な事情は含まれない。日々、ストレスがかかる部署で働いているとか、家族関係に悩んでいるとか、睡眠を削って仕事をしているなどは含まれない。したがって、RCTで得られた結果は、あくまで、この選択された集団の典型的な患者に対して当てはまる結果であり、多様なライフスタイルの患者に適合したものではない。さらに、そのエビデンスにしても、一定の傾向が強ければ、51対49でも51が優れている、という結論になる。このわずかな差で、Aの治療がよく、Bの治療は現代医療としては正しくない、と判断されかねない。

もちろん、EBMのお陰で、曖昧であった判断基準が明確にされた意義は大きい。しかし、その判断は行われた国や参加した人々などが想像できていないと難しい。真実は1対0であり、この所見はこの病気では起こるが、この病気では起こらない、というものであるはずだ。大規模臨床試験でなければ証明できない事実は貴重だが、必ずしも「正しい」わけではないだろう。EBMはあくまで科学的な手法で得られたエビデンスである、という理解が重要である。

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