1907(明治40)年に二葉亭四迷が発表した『二狂人』(『二葉亭四迷全集第7巻』、岩波書店刊)は、マクシム・ゴーリキイ(1868〜1936)が1895年に発表した『誤解』の翻訳であるが、この作品には、その題名が通り2人の「狂人」が描かれている。1人は、主人公の友人のクラフツォフであり、もう1人は、主人公のヤロスラーフツェフその人である。
ある日、離職した田舎教師ヤロスラーフツェフのもとを、1人の友人が訪れた。その友人によれば、仲間のクラフツォフが3日前から「気違」になったのだという。クラフツォフは、訳の分からんことを喋ったかと思うと、気の利いたことも言うような状態で、2日間彼の介抱をしたこの友人は疲れ果てて、もうこれ以上は看病できないと言うのである。「病人は逆らうと気が暴くなって、喧嘩を吹ツかけるが、といって放つとく訳にも行かん。途方もない事をやらかすからね」。
それ以外にも、クラフツォフには、靴墨で壁を塗ったり、全裸になってブラシで胸を擦るなどの異様な言動もあるため、精神科病院に入院させるべく工作中であるが、それまでの間クラフツォフの面倒を見る仲間がいない、ついては友人の一人であるヤロスラーフツェフに看病してもらえまいかというのが、この友人の依頼であった。
その話を聞いたヤロスラーフツェフは、かねてよりクラフツォフに見られた、「眉の上下に動くことは凄じいもので、釣上っては剛い逆け髪に逼らんとし、垂れては眼窩を没せんとす」という、ひそめ眉を思わせる表情を思い浮かべたが、クラフツォフは、「久しい前から精神に異状があるように噂せられて」いたし、なるほどと思われることも毎日のようにあった。
たとえば、今日天文の蘊奥を極めるために数学を研究したいと言ったかと思うと、翌日には田舎へ引っ込んで心の平和を回復したいと言い出す始末で、彼は哲学者と綽名されているけれども、自分の意見や希望に辻褄の合った理由を付けたためしがないのである。
もっとも、5日前に一緒に舟遊びをしたときには格別変わった様子はなかったため、ヤロスラーフツェフは、「狂人になってからは、如何なことを言ってるか知ら?」という好奇心に駆られるとともに、「若し偶とクラフツォフが天才になってたら?天才は狂気だと言う。誰もまだ天才の出現する様子を語ったものはない」という病跡学的な関心も抱くのだった。
このあたりは、ロンブローゾの影響か、ゴーリキイも、天才と狂気の関係に関心を持っていたことを示唆する記述である。
また、ヤロスラーフツェフは、「己は行って如何したものだろう?大方言う事は理が分るまいから、側に附いているのは、無益な話だ」、「気違になりゃ死んだも同然だろうが、まだ全く気違になり切らずにいたら、己は唯彼男の悶くのを傍観するだけの事になる」など、狂気を介護不能な不治の病として受け止めているが、実際に彼がクラフツォフの部屋を訪ねてみると、室内は手もつけられぬほど散らかっていた。「床には紙屑、書物、汚れた皿の破片、赤い毛糸の襟巻、皮製の小鞄などが転がっている」。
そして、肝心のクラフツォフはといえば、「顔中が間断なく揉めて、其處此處に皺の浪が寄る」というしかめ顔を思わせる表情の異常が認められたほか、ヤロスラーフツェフに向って、「こら、探偵野郎」、「貴様は探偵で、己の考えてる事を探りに来たのよ」と言ったり、「己はな、今に人間を救うから」、「今に己は、モーゼがイスラエルの子孫をエジプトから導き出したように、人間をこの世から導き出して見せる」などと言い出した。そのためヤロスラーフツェフは、「己を探偵だなんぞと言ってる。そうすると、こいつあ追跡狂だわい!あ、自分の事をモーゼだとよ――へええ、誇大狂だな」と、改めて友人の異常を認識するのだった。
クラフツォフは、なおも居丈高になって、自分が救おうとしているのは、世間から孤立してほとんど自滅しかけている「一番出来の好い人達」だなどと話し続けたため、最初は可哀想に思っていたヤロスラーフツェフも、大袈裟なことを喋りたてるその態度に、忌々しい気持さえ湧いてきて、遂には「貴様はな、狂人だぞ!分ったか?貴様は気が違ったのだぞ!救うが聞いて呆れる!誰を救うのだ?」と、叫ぶのだった。
しかし、不思議なのは、それからである。狂気に陥った友人に癇癪を爆発させたヤロスラーフツェフには、その後、「寂然として薄暗い中で、何やら神秘の事が無言の間にさっさと行われて行く。何やら破壊が始まった」という妄想気分を思わせる不気味な症状が出現し、「僕は……怖ろしくてならん」と、赤児のようにすすり泣いて、クラフツォフの脚を抱きしめ、その間に顔を埋めたのである。
そして翌朝、クラフツォフを入院させるべく、友人たちが、精神科病院の医師や白いエプロンを着けた頑強な男たちを伴って駆けつけると、ヤロスラーフツェフは、次のようにクラフツォフの主張を擁護して、その入院を阻止しようとした。「君たちはクラフツォフを瘋癲だといふンだろうが、それは誤解だ」、「吾人は生活することを許されん。何故許さんのか?吾人は罪人でも何でもない。然るにこの始末だから、それでクラフツォフは無人の沙漠へ移住して、暫く生活の範囲外に立とうと主張するので、道理ではないか?」、「他人の幸福を熱望する者、手を出して人を救わんとする者(中略)哀れな人間を深く愍れんで熱心に愛する者は、諸君の眼中では皆狂人ではあるまいか?」。
これを聞いた友人や医師は、ヤロスラーフツェフの狂気を察するが、部屋いっぱいに押し掛けた友人たちを見たクラフツォフは、大声で「君達は何だ?」と叫ぶ。それに対して、友人の1人が「おい、クラフツォフ馬車で運動しようじゃないか?」と誘うと、その企みを察知したクラフツォフは、「嘘吐け、この古狸奴!貴様何か企んでるな?」、「己を何処かへ連れて行こうッてんだな」などと言って抵抗を試みるものの、長い袋のようなものを頭から被せられてしまう。クラフツォフは、なおも連れ出されまいともがきながら、「そうはいかねえ!」と抵抗するが、赤児を襁褓で包むように包まれた彼は、手車に乗せて連れ出された。そしてその間、ヤロスラーフツェフは、何処ともなく部屋の一方を見つめてぼんやりしていたが、結局彼も、クラフツォフと同じ精神科病院に入院させられて、その予後はクラフツォフよりも不良らしいというところで、この物語は終わるのである。
このように、『二狂人』は、ゴーリキイの精神障害観の一端がうかがえる作品である。
まずクラフツォフであるが、彼には、看病にきた主人公を探偵だと思い込んだり、自分を救世主と思い込むなどの追跡妄想や誇大妄想を思わせる症状が出現している。しかも、主人公はそれらの症状を、それぞれ「追跡狂」、「誇大狂」と、正確に認識しているほか、クラフツォフのひそめ眉や、しかめ顔など、統合失調症に出現しがちな表情の変化も把握している。これはゴーリキイが、これらの症状を病的なものとしてきちんと認識していたことを示唆する記述である。
したがって、クラフツォフの異様な言動を目のあたりにして、介護に疲れた友人たちが、彼を入院させようとしたことにも無理からぬところがあるが、その入院のさせ方は、医師に往診してもらいながら、本人を騙すようなかたちで半ば暴力的に入院させようとするもので、今日から見れば、当事者の意思や人権を無視した強引なやり方と言わざるをえない。
そして、こうした周囲の対応に異議を唱えるのが主人公のヤロスラーフツェフである。ヤロスラーフツェフは、一方でクラフツォフに追跡妄想や誇大妄想といった病理性を認めながらも、彼のこの世の善人を救うという政治的な主張には賛意を示し、彼の入院にも反対しているわけであるが、最後にはこのヤロスラーフツェフもまた、精神病者として入院させられている。あるいはそこには、反体制的な人間を精神科病院に収容するという後のソビエト政権に対する予言的な批判を見ることもできるのかもしれないが、ここで注意が必要なのは、友人や医師は、クラフツォフの狂気が伝染したと考えているものの、ヤロスラーフツェフには、それ以前から病的な症状が出現していたことである。
物語の冒頭、未だクラフツォフを見舞う以前のヤロスラーフツェフには、「何事か起りそうで、それが気になって片時も忘られず、くさくさしてしまう」、「天地が寂と謐まり返って、何事かの起るのを、今か今かと堅津を呑んで待ってでもいるよう」という妄想気分を思わせる症状や、「坐りこんで笑ったり、独言をいったり」という独語空笑を思わせる言動が既に記されている。すなわち、ヤロスラーフツェフには元々統合失調症的な前駆症状があって、それが、より統合失調症的な症状が顕著なクラフツォフとの出会いを契機に顕在化したと考えられるのである。そして実は、この作品で最も秀逸なのは、「頭の中で、籠った音に、何かざわつく」というような統合失調症の発症過程を思わせる主人公の名状しがたい精神変調を描いた冒頭部分ではないかと思われるのだが、そのヤロスラーフツェフは、当時の狂気観も勘案しながら、次のように精神機能をいくつかの螺旋機能の複合体と見なすユニークな狂気観を述べている。「誰やらの説に、狂人とは一の心力の作用が他を圧倒した状態に外ならぬという。又誰やらの説には記性が一の事件又は思想に驚動せられた状態だという」、「してみると、人心は先ず螺旋装置のようなものだ。幾条かの螺旋が伸縮して、そこに運動を起し力を生ずると、思想が湧く。然るに忽然として一条の螺旋が他の螺旋よりも縮み過ぎでもすれば、全体に狂いが生じて、新たに調子づくか、又はもとの調子にもどるまでは、それが止まぬ」。
作中述べられていた天才狂気説とともに、ゴーリキイの精神障害観をうかがわせる記述であるのみならず、かかる作品を翻訳した二葉亭四迷の精神医学的な関心の高さを示唆する記述である。