No.4914 (2018年06月30日発行) P.64
仲野 徹 (大阪大学病理学教授)
登録日: 2018-06-27
最終更新日: 2018-11-28
円周率がπ(パイ)であることはよく知られている。その倍がτ(タウ)で、6.28…と延々と続く。ごく一部の数学者の間では、πよりもτの方が円周率として自然であるという主張がなされているらしい。ほとんど誰も知らないが、それをうけて6月28日が「タウの日」と名付けられている。
何年か前のタウの日、たしか土曜日の朝だった。知り合いの独立数学研究者・森田真生さんが、ツイッターでそんなことをつぶやいていた。そして、τを根付かせるために、その覚えやすい語呂合わせはないだろうかと、ゆるく募集していたのである。
π=3.141592653589793238462…には、「産医師異国に向う産後厄無く産婦御社に」とか、「身一つ世一つ生くに無意味違約無く身文や読む」という名作がある。とはいえ、かなり無理をしているところや、いまひとつ意味をなさないところもある。
自分で言うのもなんだが、その日の私は冴えていた。6.283185307179586476…を眺めていてひらめいたのだ。「浪人破産、イヤで御座る。女居なく子は無視、南無」と。
いかがであろうか。「浪人は」といきそうになるところを、「浪人破産」と始めているところなど、えらく気に入っている。浪人が破産して、女が出て行ってしまう。その女との間には息子─名前はもちろん大五郎にしておきたい(劇画『子連れ狼』です)─がいて、お父ちゃんに愛想尽かしをしてしまった。イラストのように、ビジュアル的にも相当いけてないだろうか。
思えば、こういう語呂合わせができる日本語は便利である。英語ではこうはいかない。円周率の覚え方は「May I have a large container of coffee?」らしい。What do you mean? である。前から順に、アルファベットの数が3個、1個、4個、…で円周率を示している。じゃまくさっ。それにこれだけ長くてわずか7桁だ。
平方根の覚え方、「一夜一夜に人見ごろ」、「人並みに奢れや」、「二夜しくしく」とかは実によくできている。ドイツに留学していたとき、同僚に√10までを黒板に書いてやったら、天才かと勘違いされた。
まったくの自慢であるが、「浪人破産…」は、これらに匹敵する出来ではないかと密かに自負している。ただ、τが全く無名なので、いつまでたっても広まることがなさそうなのが残念至極でたまらない。