No.4915 (2018年07月07日発行) P.65
仲野 徹 (大阪大学病理学教授)
登録日: 2018-07-04
最終更新日: 2018-07-03
6月18日、月曜日の午前8時前、教授室でメールの整理をしていた。あれっ、なんの音や?と思った瞬間、体が大きく左にゆさぶられていた。実際はわからないが、50cmほど横滑りした感じだった。背後で何かが落ちて割れる音がしたけれど、凍り付いて振り向くことなどできなかった。
建物が倒壊するのではないか、と恐がりながらも、頭は意外と冷静だ。南海トラフ地震で大阪北部がこれだけ揺れるのなら、和歌山はなくなってしまったんじゃないだろうか。津波は大丈夫か、などなど。
よほど震源地が近かったのだろう。地震警報が鳴り出したのは、10秒足らずの短い揺れが終わりかけたころだった。それまでの間、自発的には1ミリも動けなかった。
地震警報なんかうるさいだけで意味ないやろ、と思っていたけれど、間違えていた。たとえ数秒であっても、心づもりがあるのとないのとではずいぶんと違う。
大学では、転倒防止や落下防止が厳しく義務づけられている。大阪なんか大きな地震がないし、そんなもんいらんのとちゃうのか、と思っていた。しかし、これも間違えていた。効果は絶大だった。
SNSやメールでのお見舞いをいただいた。知り合いが多いということもあるが、熊本からたくさん頂戴したのが印象的だった。最近の記憶が人を優しく共感させる。
電車はすべて運行不能に。タクシーはやってこない。乗れたところで道路は大渋滞に違いない。自転車通勤のおかげで土地勘があるし、夏至が近いので日もある。意を決して、14キロを歩いて帰ることに。
同じ帰宅難民だろう、スマホを見ながら歩いている人とたくさんすれ違った。2時間半もかかって疲れたけれど、いい経験になった。おそらく、最初で最後の徒歩通勤である。しっかりと記憶に刻んでおこう。
天災は忘れた頃にやってくる、という寺田寅彦のことばは真に名言だ。地震の時にどうするか、やってきてから考えたのでは遅すぎる。反射的に行動できるぐらいに、この場所にいる時はこうするということをしっかりシミュレーションしておくべきだ。
翌日、街はいつもと同じように動いていた。でも、それは見かけだけだと思いたい。みんなの頭の中は、昨日までと少しは違っていてほしい。そうでなければ、これだけの地震を体験した意味がない。
なかののつぶやき
「震度6弱というのは、大阪での観測史上初で、もちろん完全に初めての体験。教授室のある建物は、下層階より上層階の被害が相当に甚大。震度っちゅうのは、たぶん地面で測定するだろうから、教授室がある8階での体感震度はもっと大きかったのとちがうやろうか。1回きりの短い揺れだからよかったものの、あれがしばらく続いてたら、オシッコちびってたかもしれませんわ」