イギリスの劇作家シェイクスピアの四大悲劇の1つ。写真は小田島雄志訳の「白水Uブックス シェイクスピア全集 マクベス」(白水社、1983年)。
経緯は覚えていないのだが、中学生の頃に演劇「ハムレット」を母と観に行った。爾来、シェイクスピアに興味をもち、マクベスも大学生の頃に読んだ記憶がある。
10年前に、ミラノ大学のマッシモ・コロンボ教授に、彼が編集長を務める医学雑誌を手伝っていた縁もあって、ミラノ・スカラ座でのオペラ公演に招待された。ジウゼッペ・ヴェルディのマクベス(大野和士指揮)であった。イタリア語のオペラだが、シェイクスピアの難解な英語で字幕が出る。初めてのオペラ鑑賞だったが、無趣味な私にオペラとシェイクスピア両方の楽しみができた。
オペラの方は、その後、ウィーン・オペラ座でのリゴレットやドン・パスクワーレ、バイエルン国立歌劇場でのギョーム・テルなどを、ささやかではあるが鑑賞してきた。
シェイクスピアの方は、翻訳されているシェイクスピア全戯曲を読破しようと思い立ったが、まずはマクベスである。福田恆存訳、木下順二訳、松岡和子訳、安西徹雄訳などを読んだ。いずれも佳訳であるが、小田島雄志訳が気に入っている。小田島訳では、第一幕第一場での三人の魔女が唱える呪文の様な言葉が重要視される。
「いいは悪いで悪いはいい」
原文では、「Fair is foul and foul is fair.」である。マクベスが善悪の判断を見失い、王暗殺に至るこの舞台の本質が、この冒頭の魔女の呪文に暗示されている。現実の世の中にも、人殺しはせぬまでも、いいと悪いの判断のつかない、あるいは、その判断をつけない人は少なからずいる。
母は、この冬89歳になるが昔の記憶は薄れている。「ハムレット」の記憶も無かろう。シェイクスピアの全戯曲読破を再スタートさせようと思う。