前回(No.4743)示した新奇場面法(strange situation procedure:SSP)での母子関係の観察から,そこにみられる母子双方の心理を読み取る際に重要なことは,子どもの気持ちと母親の気持ちに寄り添いながらみていくとともに,2人の間にどのような現象が生じているかをも丁寧に観察していくことであると述べた。なぜなら,母親自身が気づかないところで子どものこころを大きく左右するような現象が起こっていることが少なくないからである。以下,具体的に解説してみよう。
母親と2人でいるとき,子どもはなぜか母親に視線を向けることも近づくこともなく,少し遠くから「デンシャ,デンシャ」と声を出している。遠慮がちに独り言のようにつぶやいているが,母子双方の動きを見ていると,子どもはさり気なく母親に相手をしてもらいたいという思いを表していることを感じ取ることができる。筆者には母親の存在が気になって,子どもはとても1人遊びに熱中しているふうには見えないが,このときの母親の心理を想像すると,自分に興味を示さず,我が子は1人の世界で遊びに熱中しているように見えているのではなかろうか。なぜなら母親は,この子が自閉症ではないかと小児科医に言われたことでの来院であったからである。
母親はずっと椅子に座ったままで,子どもが困惑して助けを求めていても,一向に手助けをしようとしない。さらには,子どもが怖い思いをして泣き泣き滑り台を滑ってきて母親にしがみついたにもかかわらず,母親は身体を仰け反らしている。いかにも抱きかかえるのが辛そうである。子どもはこうした母親の身体の変化を敏感に感じ取ったからであろう。子どももどこか遠慮がちでしっかり母親にしがみついていない。うつ状態である母親が,子どもの相手をすることが苦痛であることがこの一面によく表れていると思う。
子どもがさかんに遠慮がちに「デンシャ,デンシャ」とつぶやいていると,まもなく唐突に母親は子どもに滑り台で遊ぶように促している。先に述べたように,母親は子どもに何とかほかの遊びを促して1つのことに没頭しないように,との思いがあったのではないか。しかし,子どもが1人遊びに熱中していたのではないことは,母親の唐突な促しにいともたやすく動かされているところによく示されている。熱中していたならば,このように簡単に動かされることはないからである。いかに子どもがいつも母親の一挙手一投足を気にかけ,過敏に反応しているかをうかがい知ることができる。さらに子どもは,母親の促しに動かされるようにして滑り台に行く際にわざわざ遠回りしており,子どもが好きで応じているわけではないことがよく示されていると思う。
子どもは母親の促しに従って滑り台に行ったが,滑り台の階段をうまく上ることができずにひどく困惑している。それにもかかわらず,母親は助けに来てくれない。子どもの心細さがいかに強いか想像できようが,さらに泣きながら滑った子どもに対して,なぜか母親は拍手をしてほめている。
ここで注目したいのは,心細いにもかかわらず助けに来てくれない母親に対して子どもは怒りを直接向けることがないということである。なぜかと言えば,1歳過ぎの子どもは自分1人では何もできない無力な存在で,絶対的に母親に依存しなければ生きていけない。それゆえ母親に見捨てられることを恐れているからである。我々はそこに子どもの幼げで健気な思いを感じ取る必要がある。
冒頭の2人での場面で,子どもは「デンシャ,デンシャ」とつぶやきながら手に持っていた「デンシャ」を,滑り台に行ってからも手放すことができなかった。それはなぜか。子どもは母親に相手をしてほしい(甘えたい)にもかかわらず,母親は一向に応じてくれない。子どもにとって「デンシャ」は容易に手放すことのできない唯一のしがみつく対象であったのだ。そう考えれば,子どもが母親の指示によってしぶしぶ滑り台に行って上ったとしても,「デンシャ」を手放すことなどできるはずはない。なぜならそれは,子どもにとって大切なお守りだったからである。滑り台に上ってどうしてよいか困惑していた子どもがお守りを手放してまで滑り降りたのは,切羽詰まって必死の思いでとった行動であろう。それに対して母親は拍手してほめているが,子どものこころにどう響いたのであろうか。想像するだけで痛々しいものがある。
残り2,580文字あります
会員登録頂くことで利用範囲が広がります。 » 会員登録する