僻地へいくと、好むと好まざるとに関わらず、ネットから離脱せねばならない。もちろん、すこし速度が遅いとはいえ、カトマンズのホテルや空港ではWiFiが使える。なので、ヘリでランタン谷へ飛ぶぎりぎりまでメールチェックなどをしっかりと。
ここまではネット依存気味なのだが、それからの1週間はキッパリとネットなしの生活だった。日常生活でつながらなかったら不便きわまりなくてイライラするタイプだが、休暇中だとまったくそんなことはない。
谷間の小さな村々では、どこにもWiFiの設備がなくて、つながりたくともつながれない。そうして、丸2日もネットから離れていると、どうして普段ネットなんかに縛られているのだろうという気がしてくる。勝手なもんである。
歩いて3日目の夕方に到着したキャンジンゴンパのロッジにはWiFi設備があった。しかし、すでにネットなし生活になじんでいて、もはや有料のWiFiなど使う気がしない。それが4月30日のことである。
12人のツアー仲間のうちお二人はネットに接続。改元の前日、ネットニュースは平成最後とか令和とかであふれています、とのこと。みなさん、そうでしょうなぁ、という感じで特段の興味もなさそう。
翌朝、夜明けを眺めながら、「うつくしい令和の日の出ですね」などと語り合うこともなく、淡々と改元の朝を迎えた。日本でどれくらいの騒ぎがあったか知らないが、元号がかわるというのは、騒ごうと思えば騒げるけれど、特段に騒ぎ立てるほどのことではないっちゅうことがよくわかった。
1週間チェックしなければ、さぞかしメールが溜まって困ると思われるかもしれないが、そうでもない。これまでの経験から、メールなどというものは、返事を書くからヤギさんの手紙みたいにどんどん来るということがわかっている。レスポンスしなければ、それほど数は増えないのである。
連休のせいもあっただろうけれど、わずか200通足らず。それもジャンクメールがほとんどで、読まねばならぬのは1割以下。返信が必要だったのはたった5通だった。
ネット依存の若者が多いと聞くが、ぜひこういう場所に行かせてみればいい。簡単にネットなしの生活になじめるはずだ。もしなじめないようなら、すぐにネット依存の診断をつけてあげることができますわ。
なかののつぶやき
「令和の初日、朝日に輝くランタンリルン(7234メートル)。もちろん、改元と山の美しさにはまったく関係はありません」