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長い道のりの伴走者[炉辺閑話]

No.4993 (2020年01月04日発行) P.29

小山文彦 (東邦大学医療センター佐倉病院産業精神保健・職場復帰支援センターセンター長・教授)

登録日: 2020-01-02

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拙著『精神科医の話の聴き方 10のセオリー』では、傾聴・支持における10の基本原則に触れた後、くらし・仕事・健康問題から医療・危機介入の場面等における様々な「聴き方」を解説してみた。一般に、心の診療における面接では、まず、クライエント(または患者)と治療者との間で「治療同盟」を結ぶことが始点となる。そして、目前で語られたものはすべてが治療の材料となり、意思疎通を重ね、診立てに沿った治療の流れが定まっていく。しかし、体の医学のように、理学所見や検査結果といった明確なエビデンスは乏しい世界であり、クリニカルパスのように順当に進むことのほうが稀である。

私の経験では、それぞれの場面で焦点化し解決すべき課題以前に、話し手の人となりへの視点や関心と、共感的態度による「聴く」姿勢が、やはり最も重要だと感じる。そして、その姿勢とあわせて、いくつかの重要な配慮が活かされれば、「同盟」は固く造られていくのだろうと思う。

具体的には、クライエントの置かれた境遇・状況に対する洞察、社会的立場の前に人として尊ぶことのできる感性、(転移やバイアスを含む)内なる思いと、問題解決的思考との分離・折衷などの調整に注ぐエフォートだろうか。言わば、マラソンのように長い道程にわたる伴走を、できるだけうまく務めるために大切なことは、相手のコンディションをよく観察し、互いの距離感や自身のペース配分も推し量りながら進むことに尽きるだろう。時に、先を急ぎすぎたり、逆に足が止まりそうになっても、その場面ごとの相手に対する「無理もない」といった解し方が求められ、その「無理もない」了解(一種の標準化)が一旦あってこそ、後の微妙な変化や転機がくっきりと把握できるのだろうと思う。

ものさし・尺度のような、エビデンスによる標準化の乏しい世界で暮らすには、このナラティブによる標準化を使い馴らすほかはないのかもしれない。そこに、精神症候等による判断を添えつつ、目の前の人がwellbeingに至るまで伴走できることは、責任と覚悟を伴うが、医療人として類なき喜びでもある。

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