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社会の気分と楽天性[炉辺閑話]

No.4993 (2020年01月04日発行) P.56

長谷川好規 ( 国立病院機構名古屋医療センター院長/第116回日本内科学会総会・講演会会長)

登録日: 2020-01-04

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先日、30名ほどの20~30歳代の若者向け研修会で、日本の将来をどのように感じているのか、について質問をした。根拠は必要なく、漠然とした思いでよいと前置きして、①日本の将来を明るいと感じる(2割)、②日本の将来は厳しく明るいと感じられない(5割)であった。将来を明るいと感じる若者が2割いることを妙にうれしく感じた。

私は、令和の時代が始まった5月1日から、34年間在籍した名古屋大学を離れ、名古屋医療センターに異動した。34年ぶりの一般病院勤務である。理解していたつもりではあったが、地域医療の現場で、今後のわが国の医療・病院を取り囲む社会の急激な変化を強く感じた。

日本の人口は既にピークを過ぎ、人口減少のフェーズとなった。超高齢社会が重なり、やがて1.4人の若者が1人の高齢者を支える時代が予測され、社会として明るいバラ色の未来を想像できなくなっている。

司馬遼太郎の名作である『坂の上の雲』で、明治維新後から日露戦争までの時代を表して、「これほど楽天的な時代はない」と述べている。一方で、この時代は「庶民は重税にあえぎ、国権はあくまで重く、──米と絹のほかに主要産業のないこの百姓国家が、ヨーロッパ先進国とおなじ海軍をもとうとした。──財政がなりたつはずがない」と表現している。社会的には暗い時代であったが、司馬遼太郎は明治の「時代のあかるさ」「時代人としての体質としての楽天性」に惹かれたようだ。私が育った昭和の高度成長時代も「鉄腕アトム」や「スーパージェッター」のように夢のある未来を描き、それを若者が誰しも感じていたように記憶する。

司馬遼太郎の描いた明治時代は豊かではなく、社会資本は悲愴的であったし、私が生まれた昭和30年の日本の人口は8930万人弱であり、脱脂粉乳の給食で育ち、決して社会は豊かではなかった。どうも社会の豊かさや社会資本と、「時代人としての楽天性」は必ずしも比例しないようだ。そうであれば、厳しい将来の医療環境が指摘されるが、もう一度原点に立ち返り、新たな挑戦ができる楽天性を職員と共有したいと考えている。どうも「時代人としての体質」を決めるのは、「社会の数値的エビデンス」ではなく、「社会の気分や心のありよう」なのではないだろうか。

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