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過疎の村[炉辺閑話]

No.4993 (2020年01月04日発行) P.74

武内可尚 (慈恵会中村病院小児科/川崎市立川崎病院名誉院長)

登録日: 2020-01-05

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2019年の夏は、梅雨が明けても雨の日が多く、畑の雑草も足の踏み場がないほど茂り、ひどい所は背丈ほども伸びるありさまだった。休耕地は3回も耕運機で叩いたが、雨のたびに新しく雑草が芽を出した。種が落ちてしまうと、また今年同じ状況を繰り返すことになり、その前に何とかしなくてはならない。手や鍬で2時間ほど草を何千本と引き、山と積み上げるのであるが、雨がちなので、枯れても中のほうは湿ったままで腐敗していく。従来、枯れてから燃やしていたものが、昨年はできなくなってしまった、代わりに、鶴嘴やシャベルで、長さ7~8mの深い溝を8本も掘って、そこへ雑草を埋めるようにした。

しかし、その穴掘りの重労働が災いして、20年間忘れていた腰痛および右の坐骨神経痛がぶり返し、痛みで仰向けに寝ることができないばかりか、20歩も歩くと右下肢前面のしびれも加わるようになった。9月20日にMRIを撮影、手術もやむなしと言える結果だった。82歳の体であるが、頭さえしっかりしておれば、医師は死ぬまで現役でいられるのでは、と期待していたが、どうもそうはいかなくなったようである。

もし、畑作業が今後できないとなれば、先祖代々の広い畑は一体どうなるのだろう。折角、国の補助金で構造改善事業までした畑が、早々に、数百年の昔の原野に戻ってしまうのだろうか。畑だけではない。私の村は、昼と夜の気温の差が大きく、生活排水の流れ込まない清流の田圃で育てられた米は、三原米として高い評価を受けてきた。しかし、いずこの中山間地でも抱える問題が、わが村でも当然のように進行し、見事に整地されていた田圃が次々と、灌木や草茫々の耕作放棄地になっていく姿は、その田圃をつくっていた人達を知っているだけに、そして、自分が子どもの頃の田圃にまつわる楽しいいろいろな行事や、慣習を知っているだけに、何とも悲しい光景である。

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