「炉辺閑話2016」および「炉辺閑話2017」に記載した父方の祖父の胃癌について半世紀ぶりに解析したので、今回はこれについて書いてみたいと思う。
祖父は武庫川水系と加古川水系の分水界付近で一生を過ごしたが、57年前、東京オリンピックの前年、昭和38年1月16日水曜午後3時、妻と5人の子どもを残して胃癌摘出術後3年弱、大雪の日に死去した。享年52歳。父はそのとき20歳で神戸元町に勤務していたが、祖父が危篤と聞き家路を急いだ。雪でバスの連絡も悪く、バス停から6kmの雪道を何回も転倒したという。しかし、祖父の死に目にあうことはかなわなかった。
祖母は裏庭の枇杷の葉を祖父の腹部に当てる治療を試みて、成果があったようである。その治療法は「家庭に於ける實際的看護の秘訣」いわゆる赤本からであった。近所の人は「炒った豆に花が咲いた」と枇杷の葉効果に驚いていたようだが、途中で枇杷の葉がなくなり治療を中断せざるをえなかった。その後、病状悪化、肝転移・腹水貯留をきたし、急激に衰弱、永眠した。
祖父は母校で手術を受けた。開腹手術の百足状の縦傷を父は確かにみたという。祖父の胃癌検体がないかと思って母校の大学病院で探してみた。受付台帳自体は昭和30年分から病理部のブロック・プレパラート倉庫に保管してあった。父から、手術は昭和36年と言われていたので、昭和36年の台帳を繰ってみたが該当症例がない。インオペで検体提出なしかな、と思ったが、あきらめず再度倉庫の鍵をあけてもらい、前後数年をみてみると、昭和35年2月27日土曜受付の49歳男性BorrmanⅢ型 Magenkrebs検体があった。これがまさしく祖父の検体であった。
診断報告書は外部の貸し倉庫にあったので取り寄せて頂いた。しかし、診断報告書にはPap. AK.(おそらく乳頭状腺癌の意)とのみ。これではさすがに納得できないので、さらに検索することとした。
(その2に続く)