イギリスの作家・劇作家S・モーム(1874〜1965年)には、吃音のために屈辱感を持つという苦い経験があった。周囲の反対にあったが、ハイデルベルクに遊学。ロンドンの会計事務所勤務の後、医学校に入学し、医師資格を得た。他の作品に『月と六ペンス』『剃刀の刃』など。
(写真は行方昭夫訳の岩波文庫、上・中・下3巻、岩波書店、2001年刊)
私の一冊、と言われてすぐに思い浮かんだのは、サマセット・モームの1915年(41歳)の作品、『人間の絆』だった。私が東大に入学した1950年当時、教養学部の英語の教本になっていたモームの短編が、『人間の絆』を読むきっかけになったのではなかったかと思う。
私にとって、『人間の絆』は人生の指南書でもあった。モームは作中人物を介して、人生には意図されていなかった意匠がある、折々に自分の能力のすべてを賭けていくことで複雑で色彩豊かな人生模様が織りあがっていくのだ、と語りかけているようだった。人間には偉大さと卑小さ、高潔さといやらしさ、おぞましさなど、およそ両立しない要素が共存し、包み込まれていることを悟らせてくれた。
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