色覚異常の本、いや、この本の内容に即していうと「いわゆる色覚異常」の本と言うべきか。かつて色弱あるいは色盲と呼ばれたものについての本である。著者の川端裕人さんと同じく、私も「色覚異常」である。
最初に指摘されたのは小学校3年生か4年生の時。やたらと落ち着きがなく、怒られるために学校へ通うような毎日。そんな子だったので、色覚異常検査表の数字を「読めません」と答えたのがふざけていると思われたのだろう。えらく叱られた。思えば、人生で経験した最大の理不尽である。
阪大か京大の医学部を受験しようと思ったのだが、1975年当時、京大医学部は「色覚異常者」の入学を許可していなかった。それに対して阪大は問題なし。門前払いだけれど、ルールなのだから仕方ない。まぁ迷わなくてええかと思ったくらいだった。
併願で受験した慶応の医学部では、別室で「アノマロスコープ」と「パネルD-15」による精査を受けた。その結果は教えてもらえなかったのだが、合格通知が来たから、おそらく軽度と診断されたのだろう。
大学での勉強や日常生活ではほとんど支障を感じない。ただ、青と紫が見分けにくいので、顕微鏡実習がやりにくかったような気はする。他は、区別が苦手と経験的にわかっている色調の服を購入する時に、付き添いの妻に色を確認することがある程度だ。
悪いことばかりではない。物の見え方が違うと小さな頃から理解しているので、周りの人と考え方が違うということに寛容である。ただ、それが、お前は変わっていると言われる所以かもしれないのではあるが。
今や大学入試で門前払いにするところなどない。20年近く前から、学校での色覚検査が廃止され、特殊な職業以外では問題にされなくなっている。しかし、それはそれで、自分の「色覚異常」を知らないがための新たな問題が引き起こされているという。
正常な人でも色の感覚はさまざまであることや、色覚の分子生物学的なメカニズムから、正常・異常ではなくて、色覚には多様性があると考えるのが妥当になってきているそうだ。なるほどその方がずっといい。
この本の最大の結論は「1つの遺伝的特性の性能のみで全体を語るのには慎重でなければならない」ということ。この汎用性の大きな原理、色覚「異常者」は、間違いなく「正常者」より深く理解できるはずである。
なかののつぶやき
「著者の川端裕人さんは、色覚異常検査表の検査では『色覚異常の疑い』ですが、詳しい検査の結果、色覚は『正常』との診断が下されます。このことだけでも色覚というものの難しさがわかります」