自分が信じる医療を提案し同意を得て前に進めるのは、医師の権利であり義務である。こうした意味で、医師には幅広い人間としての魅力が必要である。
様々な職業の多くの人々に興味を示しその生き方に接するとき、初めて医師と患者はお互いに向き合うことができる。医師は人生経験のすべてを患者さんのために生かせる仕事である。そのためには、たくさんの好奇心を持って「遊ぶ」ことが大切である。感性を磨くことで、医師にとって最も大切な人間力ができ上がる。知識や論理的思考だけならAIがやってくれよう。知識は必要ではあるが単なるおもちゃに過ぎない。ジグソーパズルの一部分のピース自体には何ら意味は無い。知識を統括し人創りに寄与する「哲学」として大きな絵に仕上げなければ意味は無い。
哲学という言葉は、明治初期に西周先生がphilosophyの訳語として創られたというが、彼は芸術や理性・科学という言葉も同時に発案されていたので、いかにこれらに共通する基盤を求めたかを示していると言えよう。そもそも、中世の時代に医師になろうとするものは幾何・算術・天文学、そして音楽を学ばなければならなかったという。わたしは、大のクラシック音楽ファンである。五線譜に書かれた同じ音符の連続でも、演奏者によって最後にでき上がる音楽はまったく違うものとなる。
医師は表現力の充実を図るべきである。表情も含め、説得力を持ってわかりやすく伝えることが大切である。幼少時からドラマや音楽などに親しみ、理系の勉強だけでなく、もっと歴史・文学など、リベラルアーツを学んで欲しい。医療の本質は相手への思い入れや愛情である。そして、自分の言葉としてわかりやすく説明できるか否かが問われる。ソクラテスと言えど、単に言葉を操る人間にすぎないのだ。
コロナ禍の中で、オンライン診療やWeb会議など、人が人と対面し接することが控えられていた。人は社会で経済活動をしているだけでは人間の尊厳が失われる。芸術を通して自己の内面を見つめ、人が人にお互いの心情を伝え合ってこそ、そこに「生きる意味」が生まれる。