私は医師となって50余年が過ぎた。
医師免許を得てから時をおかずに医事新報の定期読者となった。父に倣って、医師になれば医事新報を読むべきことを当然とも考えていた。
私の父は大正13年の京都帝国大学医学部卒で、昭和10年代から約20年間、公的病院の院長を務めた。私は子どもの頃から父が「醫事新報」を読んでいる姿をいろいろな機会によく見かけていた。当時の「醫事新報」はざら紙でとじ穴が二つ付いたうすっぺらな雑誌であったと思う。
父は隣県の病院まで約20年余、電車通勤で、車中では鞄から醫事新報を出して読んでいたのを、私は小学校の通学途上に同じ電車に乗っていてよく見ていた。戦後は国家試験前の1年間はインターン制で、父の病院も数名のインターンの方が実習にきていた。病院で父は診療中、インターンの指導にも当たっていたある日の指導中に、その朝の通勤車中で読んだ「醫事新報」の新しい学術治験について、父はあるインターンに質問をしたそうである。当時のその新しい治験について知る由もないそのインターン氏はぽかんとしていたようで、後に私が医師となって間もない勤務医の頃、ある宴会の席で、件のインターンであられた先生が父の思い出話をして下さった。「医事新報に書いてあるような新しい治験などインターンが知るわけないよね」と、笑いながら当時を懐かしそうに語っておられたことがあった。
私は開業医を20年余続けて後、62歳で開業を辞して、勤務医となるべく当時の医事新報の医師求人情報が縁で今の嵯峨野病院に勤務することとなった。また、院長となって15年間、毎年の「緑陰随筆」、「炉辺閑話」に欠かさず拙文を投稿し続けているが、81歳の今日まで医事新報とのご縁は続いている。