『どんじり医』(CCCメディアハウス)は、松永正訓医師の、受験生から医学部生、研修医、大学院時代までの想い出話である。1987年のご卒業なので、私が6級上になるが、この本を読んで、長らく思い出すこともなかった記憶がたくさん蘇ってきた。
いまはもうなくなったが、大学に入学して最初の2年間の「一般教養」時代。お世辞にもよく勉強したとはいえなかった。3年生での解剖実習は、今となっては考えられないくらい劣悪な環境だった。よく手袋もせずにやっていたものだと思う。
最初は小児科へと思っていたが、ポリクリで先天性異常の子を見て、かわいそうすぎてやめた。そのかわり、内科実習でのレポート課題のために読んだ論文があまりに面白くて、血液学の道に進もうと決意した。
当時は、大阪大学の微生物病研究所に附属病院があった。そこの血液疾患をメインにしていた内科で卒後2年目の研修を始めた。受け持ちの白血病患者さんは良くなられるとは限らず、厳しい経験ばかりだった。
そのころちょうど、血小板採取装置が開発された。別段、なにも起こらないのだけれど、器械を動かしている間、ドナーにずっとついていなければならない。半日近くかかる作業を、多い時は週に2回やっていた。
それから、半日のアルバイトが週に2回あった。治療のためには血小板採取が必要だ。バイトもしなければ生活できない。そんなこんなで相当な時間をとられるのがたまらなかった。こんな生活でいいのかと。
当時は、臨床教室に入局して研究するのがメインのキャリアパスだった。自分も漠然とそうするのだと思っていた。しかし、時間を切り売りするような日常から、それってなんだかなぁという気がしてきた。
微生物病研究所の附属病院を半年で辞めて市民病院へ異動した。日々、臨床に明け暮れる毎日だった。幸運なことに、研究歴もないのに阪大医学部に助手として採用してもらえる話が舞い込んできた。えいやっと医者としての仕事を辞めることにした。バイトや作業で時間の切り売りをせずにすむというのが大きな理由だった。
松永医師は『どんじり医』などではなく、小児外科で研鑽を積み、小児がんの基礎研究で素晴らしい業績をあげ、今は開業しておられる。内容を紹介できなかったけれど、面白い本なので、ぜひ読んでみてください。
なかののつぶやき
「松永医師はこれまでに『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館)や、『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』(中央公論新社)など、いい本を何冊も出されてます」