HIVの症例を初めて担当したのは、研修2年目のとき。
不明熱が続き、低ナトリウム血症が進行して、相当にやせ細り消耗していた30歳代男性の、いわゆるAIDS患者であった。それまで上級医に言われるがままであったが、必死になって調べて、サイトメガロウイルスによる副腎炎から副腎不全を起こしていると診断できた。その後、当時は“HAART”と呼ばれた両手に山盛りの抗HIV薬を服用し、吐くわ、下すわ、発疹が出るわ、を乗り越えて、半年後には歩いて外来受診するようになった。「AIDSって死なないのだ」と治療のやり甲斐を感じた研修医は、感染症内科への道を進むことになった。
それから15年。それなりにHIV、AIDS患者を診療してきた。最近は抗HIV療法のことを“ART”と呼ぶようになっている。呼称が短くなっただけでなく、副作用が軽減され、うんと飲みやすくなった。山盛り飲んでいた薬剤は、最近の流行では1日1錠飲むだけだ。いわゆる無症候期に診断されたHIV患者では、死亡や後遺症を残す症例は稀になった。
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